÷0  ジャンル雑多な読書感想文
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ロマン
ロマン
ウラジミール・ソローキン 国書刊行会

 解き放て、ロシア小説!
 というわけで、再びソローキンの登場です。
 あらすじ。時は19世紀末、32歳の若い弁護士ロマン・アレクセーヴィチは3年ぶりで故郷の村クルトイ・ヤールに戻ってくる。弁護士をやめて画家をこころざすロマンは、美しいロシアの自然に囲まれながら、村の人々と心温まる交流をする。ある日、ロマンは村の純朴な娘タチヤーナと出会い、熱烈な恋に落ちる。そして村人に祝福を受けながら婚礼をあげた夜。ロマンとタチヤーナは婚礼の贈り物である斧と鈴を手にしたとき、殺戮の夜が始まる。
 訳者解説がよくできているのであんまり書くことがない。
 ソローキンは相変わらず変態すぎてあれです。スプラッタでカニバでスカトロでしかも冒涜的で、色んな意味で最悪なので、あんまりそういうのに耐性がないひとは読まないほうが無難かと思います。(最新作で、フルシチョフ×スターリンの幼児退行嗜好18禁エロを書けるひとはやっぱりまともじゃない)

 基本的な構造は、4分の3くらいまでの物語性豊かないかにも『ロシア小説』(露訳でロマン)が、いきなり意味や構造を失い完膚無きまでに破壊されて死ぬまで。好き放題やっているように見えて、絶妙なセンスと計算が感じられるあたりはさすがの上手さ。
 ソローキンはテクストとしての伝統的ロシア小説が好きらしく、本書のほとんどを占める物語性豊かなロシアの農村での暮らしを描いたパートはトルストイやトゥルゲーネフなどの精巧な文体模写によってつくられているとのことで、いかにもロシア小説に出てきそうな個性豊かなキャラクターや大地礼賛や自由と宗教と社会についての議論など、肉厚でおなかいっぱいな感じの描写が続きます。
 で、肝心の殺戮と解体およびラストについてですが、もっと狂躁的なノリなのかと思ったら、惨劇の興奮はあっという間に終わり、どこまでも言葉の連なりでしかないシステマティックなのが意外でした。続く教会での解体(文字通り)シーンは読んでいてとんでもなく不快ですが、洗磐の中身(おそろしくて書けない)をぐちゃぐちゃやっているあたりまでは何となく、裏返しの宗教儀礼であり大地との合一や自由の獲得や愛の成就という象徴性を帯びている気がしないでもないのだけれど、石片や木片を弄ぶあたりからそんな象徴性も装飾を削られた文章とともに全てが無意味になり、為すすべなくテクストの波間に漂うしかない読者が本気で「もう『ロマン』死んでくれないだろうか」と思ったあたりで本当に死んでしまうそのラストのすさまじい決まり具合には脱帽です。
ロマンは死んだ。
 でも一番恐ろしいのは、この『小説』の解体の過程が全くの断絶ではなく、どこか連続性をもって書かれていることだと思う。実際、物語が破綻する前の中盤で何度も繰り返されていた「きみを愛している」「あなたはわたしのいのちよ」という愛の告白のやりとりは、全てを知った後に読み返すとどこかグロテスクでさえある。破綻直前部分のロマンとタチヤーナの会話は、今までの熱烈な調子を保っていながら、それとなく後への展開の伏線めいたところが感じられなくもない。そして「ロマンは~した。」という文章がひたすら連なる全てが崩壊したラスト付近でも、ひたすら無意味な反復に見せかけておいて、徐々にロマンが衰弱していく様子が分かるように脈絡が整っている。
 そしてこの作品のベースとしてある伝統的ロシア小説だって、なんとかまともな小説らしい顔をしているけれどこの作品に通じる不気味なまでのパワーがそこにはうずまいていて、それを分かりやすい形にしたのがこの『ロマン』なんじゃないだろうか。

 「愛」を読んだ時も思ったけれど、ソローキンの小説は『愛』や『小説』というどこか慣れきってあなどっていた概念が、本当はもっと底知れない拡がりを持っていたものなんだと気付かせてくれるようなところが素敵です。
 そして見るのでも体験するのでもなく、読むことでしか味わえない『テクストの快楽』というものがあるのなら、この小説がその一つの形であるのも保証します。
 と持ち上げてみたけれど、やっぱり色々と最悪なので読む際には十分気を付けましょう。
 ところで最初に出てくるロマンの墓は、一体誰が作ったんでしょう?

 今回の不思議アイテム
斧:振り上げたなら斬り落とせ!
鈴:鳴らすと犬が吠えるのをやめる。最後は腹に詰めましょう。
* 2010/05/19(水) # [ 読書感想文 ] トラックバック:0 コメント:0
子猫が読む乱暴者日記
子猫が読む乱暴者日記
中原昌也 河出書房新社

 暴力とエロスと怒りとコミュニケーションなナンセンス色々。
 あらすじ。ない。
 小説だけれど、どこか映画にも通じる脈絡のなさ。怒りや暴力に満ちているけれど、どこかそれ自体空虚。乾いているけれど、どこかセンチメンタル。
 ぐだぐだ言うより読むべき。





 ドアを開けたのは缶ビールを片手に持った強烈な醜男だった。背は1メートル50センチぐらいで、目と歯が異様に出っぱっていた。
「なんだ、ピザの配達じゃないのか」
 俺は醜男のビール腹に、助走をつけて蹴りを入れた。凄まじい勢いで醜男はフッ飛び、居間のソファの裏に落ちた。
 俺は生まれながらの乱暴者さ。ガンジーの断食も、マザー・テレサの博愛も、ワシントンの正直さも、俺の暴走を止めることはできない。
* 2010/05/13(木) # [ 読書感想文 ] トラックバック:0 コメント:0
有限責任会社
有限責任会社
ジャック・デリダ 叢書・ウニベルシタス

 反覆しつづける、愉快なおちょくりエクリチュール。デリダ=サール論争の愉快な経過がこの一冊に。
 あらすじ。デリダが「署名、出来事、コンテクスト」(略してSec)を発表→サールの反論の概要→デリダの再反論「有限責任会社abc…」→しばらくたってからのデリダのまとめ「討議の倫理に向けて」
 蓮實重彦の「『赤』の誘惑―フィクション論序説」を読んでいたら出てきたので、読んでみた。普通に想像する『真面目な』学術論文とはほど遠い、けれど出来る限り誠実であろうとしたデリダの論文。言語行為論についての本らしいけれど、門外漢の私はひたすらサールのSec解釈に対する反論である「有限責任会社abc…」が楽しかったです。オースティンの構築した『フィクションは真面目なものではないので除外する』言語行為論を擁護するサールに対して、随所に溢れる言葉遊びやずれていく討論、数々の引用翻訳誤読などを含んだ『真面目な』論文という形式で、恣意的な『真面目/不真面目』『重大/重大でない』という政治的境界をおちょくりたおしていくデリダのやりくちは、読んでいて愉快でした。
 題名も仕掛けいっぱいで楽しい。原題は"LIMITED INK abc…"で本章はdからzまで。仏訳の題が"Societe A Responsabilite Limitee"で略して"Sarl."InkはIncとかけてある。
 で、この論文のひとつの大きな特徴がサールの論文をほぼ全編引用していること。細部を大事にしろ!自分の都合に合わせて適当に読むな!ということで、なんで蓮實重彦がこの本が好きなのかが何となく分かります。
 表現されたものはパロールだろうがエクリチュールだろうが、ひとたび発せられたとたん、表現者の意図=志向からも乖離して、ただ漂流物として在る。という、Secでの主張が個人的に印象に残りました。
 最後にに一番面白かった箇所から引用。デリダも筆がのりにのっているのか、全編こんな感じ。
(引用者注:サールが言うには)Secによれば、「意図=志向はすべて意識的でなければならない」というのである。告白せざるをえないが、私はこの文を見て目を丸くした。私は夢を見ていたのだろうか?誤読していたのだろうか?誤訳していたのだろうか?私がたったいまそれを望んだように、テクストが突然、揶揄的になってきたのだろうか?われわれの討論が、ますます冗談めいてこようとしていたのだろうか?
* 2010/05/12(水) # [ 読書感想文 ] トラックバック:0 コメント:0
SFアニメ2本
とりあえず、最近見たSFアニメ2本の感想。NHKアニメはけしからんのでもっとやれ。

エレメントハンター

 良質SF蘊蓄アニメ。登場人物達の線の細さが気になるけれど、なれればそんなもんです。
 あらすじ。元素消失という天変地異が60年前からはじまった地球。主人公達3人組はひょんなことから謎のホログラム『カー博士』に元素を回収する「エレメントハンター」に任命される。3人組はパラレルワールドであるネガアースで元素回収に励むが、そこには謎の生命体や政府に任命された公式エレメントハンター達との対立が待っていた。
 結構最新の科学理論を取り入れていたり、文系にも嬉しい世界の著名人の明言が引用されていたり、こういう蘊蓄好きにはなかなか嬉しい作りになっています。あと化学で習った元素式を懐かしく思い出せます。それなりに物理とか化学とかが真面目に扱ってあるアニメは案外少ないので好印象でした。
 あと、真面目かつきっちりとした感情の落としどころの付け方がいかにもNHKの教育アニメという感じで、でもあんまりイヤな感じのしないあたりのバランスが個人的には心地よかったです。このアニメで一番の盛り上がるところである「アンドロイドの夢」でのアンドロイドの取り扱い方も、色んなSF作品を下敷きにしつつ、安易に人間と同一視しないところが良かった。ラストの夢見る世界で彼女が出てくるのは、彼女が夢を見られたことの証なんだと思うと、胸が熱くなります。
 老女で熟女で幼女なカー博士ことおばちゃんが可愛かったので、もうちょっと蘊蓄野郎のトムと絡んでほしかったです。
 で、このアニメでの一押しはなんといってもロドニーとキアラのラブコメパートですよ。真面目で堅物な金持ちのぼっちゃんで優秀で超二枚目(公式設定)なロドニーと猫耳ツンツン娘のキアラが、きゃいきゃい言い合いながらラブコメしてるのににやにやするのが正しい見方だと思います。後半につれてのロドニーのはんぱない赤面っぷりとラストの色ぼけっぷりは素晴らしい。
 あとラストの兄妹はなんだか禁断っぽいんですけど、あれでいいのか?


ふしぎの海のナディア

 エンタメ大風呂敷SFアニメの範。魅力的なキャラクターが躍動感たっぷりに動き、けれん味たっぷりのメカがところ狭しと暴れ回れば楽しいアニメにならないはずないじゃない。島編は他のことでもしながら、気になるところだけ見ればいいと思います。
 あらすじ。時は19世紀末。フランスの少年ジャンはパリの博覧会で褐色の肌の美少女ナディアと出会う。その出会いは彼女の持つブルーウォーターという宝石の秘密をめぐり、世界の命運をかけた冒険のはじまりだった。
 ラスト5話での大風呂敷広げすぎな、グロテスクなまでの猛烈なSF展開が熱い!
 過去のアニメ作品のパロディが多いと言うことだけれど、それだけではなく、おもわずつっこみたくなるようなSFガジェットの使い方とか、出てくる男性がどこまでも男臭くて女性がどこまでも女臭いところとか、『古き』良きアニメ臭さの魅力が濃厚に漂っているのが楽しい。
 にしても、最後のサンソンとマリーは反則すぎる。こいつら可愛いなあ。
 単純なので、この作品と繋がりのあるらしいエヴァンゲリオンも見たいなあと思いました。新劇場版も出たことだし。
 そういえば、絶望先生3期のアニメOPでナディアからワンシーン取られていて何でだろうと思っていたのだけれど、これも異星人が出てくるからなんですね。あのOPは未知の存在との遭遇とコンタクトがテーマだと思われるので。

ところで最近見たアニメでわたしの一押しは、「電脳コイル」と「極上!めちゃモテ委員長」です。
* 2010/05/09(日) # [ 読書感想文 ] トラックバック:0 コメント:0
文章教室
文章教室
金井美恵子 河出文庫

 全くありがちな二編の不倫小説が出来上がるまでを書いた小説。こう書くと全然面白くなさそうだけど、すごく面白いです。全編通していわゆる『恋愛小説』のメタメタな感じで、頭がいい女の人が書いたんだなあと思わせる徹底した批判的な悪意が心地良いです。
 あらすじ。
 小説というのはもちろん本当のことなどではなくて作者の主観というフィルターを通してつづられる文章なのだということが、これでもかというほど突き付けられます。で、世の中に溢れかえるそのフィルターがあきれるほど陳腐でしかなく、だから凡百の恋愛小説がどうしようもなく陳腐であることも。
 ゆえに文章の技巧のレベルがどんなに違おうとも、この『文章教室』という小説の中で主婦と小説家が書き上げた小説は書かれる動機もその顛末まで、あきれるほどそっくりなのでした。
 いかにもカルチャーセンターに通っている主婦が書きそうな文章の引用による本文が、どれほどのフィクションと手垢のついた言い回しにまみれているかが楽しめれば勝ち。
 そしてこの小説がどこまでも気詰まりなのは、登場人物の間でひとつもまともなコミュニケーションが成立していないからなんだと思います。事後のベッドで見つかる鶏にいかにも象徴されているシーンのように。
 『目白四部作』の第一作ということで、残り3作もそのうち読む。
* 2010/04/11(日) # [ 読書感想文 ] トラックバック:0 コメント:0
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