÷0  ジャンル雑多な読書感想文
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異邦人
異邦人
アルベール・カミュ 新潮文庫

 カフカの「変身」と双璧を成す不条理文学の有名作。
 あらすじ。ムルソーは母親の通夜に出かけ、その翌日に女友達と海水浴に出かけ、関係を結ぶ。喪中も働いたり、隣人の相談に乗ったり、普通の暮らしを続けていた。ある日曜日、ムルソーは太陽の焼け付くような光に耐えかねて、隣人といざこざを起こしていたアラブ人をピストルで射殺する。ムルソーは逮捕され、裁判で母親の死に際して涙を流さなかったことを糾弾される。そして、陪審員によってムルソーに「死刑」の判決が下される。
 端正で感情の起伏を表さないことで、太陽の光やその空気がより一層迫ってくるような描写が冴えている。ほとんど全てを「どうでもいいことだ」で片づけ、ただ率直に己の見たものを描写し、どこまでも自分にとっての虚偽を排除し続ける主人公の造形も面白かった。裁判の場面で、当の被害者のアラビア人のことはほとんど出てこないで、もっぱらムルソーの生活態度(しかも常識的に見て好ましくない部分ばかり)ばかりを責めるところが愉快。主人公は積極的に周りに危険をもたらす訳ではないから、これ以外に責めようがないといえばそれまでだが。裁判あたりから、死刑判決が出て、死を恐れながらラストにたどり着くまでが非常にスリリング。
 以下、適当な覚え書き
 裁判官の言葉も、弁護士の言葉も上滑りで、ムルソーについて何ら語り得ないのは、彼が承認していない『社会』によって彼を解釈した言葉だからであろう。ママンへの愛情は、ムルソーにとって母親の年齢やその正確な死亡日時を知ること、通夜に涙を見せることによって測れるものではないが、裁判官その他大勢の他人にとっては、まさにその態度をとることこそが『愛情』である。
 信仰や母への愛情を「どうでもいいことだ」と肯定も否認もしないムルソーの態度は、否定すること以上に、『社会』に対してより危険なものである。否定は、肯定の裏返しであり、それは一つの『社会』への関わり方である。『社会』が拠り所とし、無意識の前提とするキリスト教信仰(ヨーロッパの場合)や家族愛を、当然のこととして認めようとしないムルソーは、『社会』にとってあってはならない異分子である。そのような異分子を排除してこそ成り立つのが『社会』である以上、ムルソーに対する『社会』の態度は「死刑」という形で表現されることとなるわけである。
 思っていたより、『不条理』という感じがしなかったのは、もちろんあらすじをわたしが知っていることもあるし、すでにその後書かれた文学自体が『カミュ以後』という前提だからだろうか?

 とやかく言うよりも、全部で130ページ弱なので、実際読んでしまった方が早い作品ではある。久しぶりに少し長くなるが、最後の文章から引用。
何人も、何人といえども、ママンのことを泣く権利はない。そして、私もまた、全く生き返ったような思いがしている。あの大きな憤怒が、私の罪を洗い清め、希望をすべて空にしてしまったかのように、このしるしと星々に満ちた夜を前にして、私ははじめて、世界の優しい無関心に、心をひらいた。これほど世界を自分に近いものと感じ、自分の兄弟のように感じると、私は、自分が幸福だったし、今もなお幸福であることを悟った。すべてが終わって、わたしがより孤独でないことを感じるために、この私に残された望みといっては、私の処刑の日に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びをあげて、私を迎えることだった。
* 2007/05/22(火) # [ 読書感想文 ] トラックバック:0 コメント:0

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