÷0  ジャンル雑多な読書感想文
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葦と百合
葦と百合
奥泉光 集英社文庫


 奥泉光のエッセンスが、エンターテイメントの中に詰まっているような作品だった。非常に良かったんだけれど、人によっては好きじゃないかも知れない。特に本格ミステリ好きの人とか。とりあえず付いているキャッチコピーは、ミステリとメタフィクションの完全なる融合。
 あらすじ。式根は、かつての恋人と共に参加したコミューン運動「葦の会」を、結婚を目前にして再訪とする。荒れ果てた土地となっていた跡地で、不可解な事故が起きる。回想や不気味な伝説、幻想に取り囲まれ、式根は事件の奥深くへと入っていく。
 読む上で参考になりそうな、勝手に奥泉原則。
①夢と現実とテキストの重みは、全て等しい。
②夢と現実とテキストの移行は、切れ間無しに行われる。
特に②が鬼です。分かりやすい叙述ミステリ何かだと、フォントが変えてあったり、段落を変えていたりするのだが、奥泉作品ではスムーズに移行していくので、読んでいるこちらが混乱する。いや、勿論それこそが味なわけだが。
 メタフィクションは結局紙の上での遊びに過ぎず、意味が分からないという意見を結構見かけるので、擁護論を一つ。まず本の上では、夢も現実もテキストも、全て同じ文字として表される。それを何の基準で選り分けて考えるのか。究極的には、それらは判然一帯として区別できないのではないか。そして同じ事が、紙の上を離れても言える。現実は「共有された幻想」であるとは、作中でも言われている。また、テキスト(この場合は虚構と言った方がよいかもしれない)は、現実によって作られ、現実を塗り替えていく。それは意識的に、無意識的に。この紙の上での文章が、さらに紙の外へと広がっていくある種の浮遊感覚がメタフィクションの魅力の一つではないだろうか。
 なんだかまとまりのない文章になってしまった。
 最後に、頑張って一解釈を付けてみた。「あるひとつの『葦と百合』解釈」(ネタバレ)
* 2005/09/13(火) # [ 読書感想文 ] トラックバック:0 コメント:0

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