÷0  ジャンル雑多な読書感想文
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読書メモ
歯ごたえ固めの3冊+αで。

ニューヨーク革命計画
アラン・ロブ=グリエ 新潮社

 強姦と殺人と火事。欲望の街を革命するために必要な赤と黒の3つの犯罪。

 正直何が起きているのかさっぱりわからないし、文章は無味乾燥でとくに興味を引くわけでもないのに、非常にスリリングで、非常にエロくて、抜群に面白いのがロブ=グリエの不思議。
 あらすじ。無意味なので省略。
 犯行現場への放火。スパイの女への拷問。囚われの少女。どこまでも続く鉄階段。いつもいる見張りの男。割れる窓ガラス。怪しげな黒人。マッドサイエンティスト。鍵穴から覗く秘密の情事。通俗的でほとんど退屈ともいえる、ありきたりなイメージ。欲望と手垢にまみれたこれらのイメージををいくつも組み合わせて何回も反復させ、ついつい組み立ててしまう『物語』というものをひらりひらりとかわしながら、いつのまにかつくられていくイメージの万華鏡。人称も舞台も構造も、イメージだけを頼りにぐんぐんと飛び越えてしまう跳躍感がたまりません。
 それは廃墟での人形を使った一人芝居なのかもしれないし、探偵小説のワンシーンなのかもしれないし、少女の想像なのかもしれないし、尾行していた男の報告書なのかもしれないし、地下鉄の商品ポスターの画像なのかもしれないし、尋問されている女スパイの嘘なのかもしれないし、そのどれでもないのかもしれないし、どれでもありうる。
 つまりとても面白いテキストだということです。



エントロピーと秩序
ピーター・アトキンス 日経サイエンス社

 アトキンスさんのサイエンスノンフィクションは本当に珠玉の出来なんですよ!化学も物理も生物もひとまとめにして面白くわかりやすく、そして想像力豊かに語ってくれるなんてすばらしい。文芸書だけでは体験できないスリルと興奮をあなたに。
 簡単なエンジンの説明から始まって、時間のなりたち、宇宙のはじまり、生命の存在、そして自然を統べるシンプルな法則であるエントロピーについて。

 熱エネルギーを全て「仕事」に変換させることは不可能である。
 なぜなら、熱とは「仕事」より無秩序な状態であり、熱エネルギーを一部捨てて無秩序さを増大させることではじめて、「仕事」というよりエントロピーの少ない状態を獲得できるからである。
 無秩序さというエントロピーが増えるということは、確率の低い世界からより確率の高い世界になるということであり、つまり二度と前の状態に戻ることはない「時間」という概念が生まれることである。
 宇宙全体のエントロピーが増えることは絶対だけれど、系の他のエントロピーを増大させることで局所的にエントロピーを減少させることは可能である。ゆえにエンジンや結晶や生命という持続可能な構造が生まれ、結果的にエントロピーは増大していく。
 人体の機構は摂取したブドウ糖などの構造を破壊しエントロピーを増大させることで、局所的にエントロピーを減少させ、「生命」という構造を維持させるためのエネルギーを得る。
一様性や一貫性という性質は、もともと一時的なもので、エネルギーの流れが構造を支えるのをやめたとたんに、一様な状態は乱雑な状態に崩れてしまう。エネルギーの分散が止まると、人間のように、ピストンにも死が訪れるのだ。乱雑さが一様性をつくり出し、それがまた乱雑状態に戻る、つまり、乱雑さというほこりのような状態が最後には、またほこりになる。しかし、ただもとに戻るだけではない。ほこりがほこりに戻る間に、その過程から枝分かれして、生命の構造ができるのだ。だから、私たちは生きるためにエネルギーを分散させ、はかない不安定性を支えていなければならない。安定は、死を意味するからである。
 だそうです。




定本 日本近代文学の起源
柄谷行人 岩波書店

 日本近代文学が依拠してきたものの起源、及びその忘却について。
 わりと今となってはスタンダード、というかどこかで見知った話が多かったので、これがネタ元なのかなあ。
 明治以降の日本近代文学が描いてきたとされる「風景」や「内面」、そしてそれらを記述する言文一致体。外国から仕入れてきた概念を記述する際に、いままでの文化になかったそれらをいかに今までの散文たちに接続し、日本的な租借と改編を施し、そしてその起源を忘れてしまうまで。
 つまり、今わたしたちがなんとなく当然だと思っている日本近代文学が『作り上げられる』まで。 

 たまにこういう本を文学部の学生でもないのに読んでて一体何の役に立つんだろう、と自分でも思ったりするけれど、こういうのを頭のどこか片隅にでも置いておくと、他のいろんな本を読むのがもっと楽しくなったりするかもしれないし、そうなるといいなという野望があったりするので、まあ読んでみると面白いかもしれません。

 ところで、定本繋がりで同時に読んでた近田春夫の「定本 気分は歌謡曲」は、掲載紙が数十年前のポパイなのでノリが懐かしく軽い感じですが、書かれてあることの根っこにあるものが「日本文学史序説」と全く同じでたいへん楽しい。
 この洋学などの影響を切っても切り離せない外国文化の受容と変容の仕方こそまさしく『日本的なるもの』で、つまり『歌謡曲』なのである、という。だから今でも変わらず『歌謡曲』はJ-POPと名を変えて街を流れて、私たちはこの本を楽しく読むことが出来る。
* 2010/08/22(日) # [ 読書感想文 ] トラックバック:1 コメント:0

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2012/11/18(日) 08:50:56) |

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