÷0  ジャンル雑多な読書感想文
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ミスティックリバー
ミスティックリバー
クリント・イーストウッド監督

 あまりにも取り返しの付かない人生たちと愛と正義について。
 あらすじ。幼馴染のジミーとショーンとデイヴが路上で悪戯をして遊んでいると、警官風の男がやって来て、デイヴを車に乗せる。監禁と暴行の悪夢の4日間の後、デイヴは帰宅する。そして25年後、ジミーは雑貨店主、ショーンは警官、デイヴは労働者となり、彼らは知り合い程度の関係でそれぞれの人生を生きている。ある日、ジミーの娘が惨殺され、ショーンが取り調べに当たる。そして容疑者としてデイヴが浮かび上がってくるが。
 最初からラストまで暗い緊張感が漂う作り。一人だけ『車に乗ってしまった』ことで悲劇の当事者となってしまったデイヴと、あとの二人の「自分でなくて良かった」という引け目がこのサスペンス全体に陰鬱な陰影を与えて、興味を引っ張ります。登場人物のさまざまな選択が、因果関係は不明でありながら確かに現在に影響を積み重ね、人生に対しての重み(こう書くと軽いけれど)の重苦しさを否応なく伝えてくるのは、さすがイーストウッドとしか。
 圧倒的な後味の悪さと納得のできない感じは、狙って作られているとはわかっていてもやっぱりやり切れないです。尊ぶべき愛と正義が執行されたことで、これほどどうしようもない気持ちになる映画はなかなか見あたりません。洗い清められることのない罪と、消えることのない悲しみや傷が、表面上穏やかな水面の川に沈められ、すべて明らかになることは決してないままに流れていきます。
 原作は小説で、レビューを見る限り、丁寧な心理描写と饒舌なまでの背景描写で読ませるつくりらしいけれど、映画のほうはイーストウッドらしく言葉は寡黙で行動で語らせるいつもの感じ。小説の根底にはアメリカの格差社会がもたらす逃れようのない轍がありそうだけれど、映画のほうではさらに普遍的な人生そのものの不条理を感じさせる仕上がり(だと思う)。
 最後の投げっぱなしのようなパレードのシーンにカタルシスは一切なく、だからこそより悲壮であるしかない人生が浮き上がってきます。それまでの苦悩や不幸に見合った幸せが訪れることもなく、悲しみに途方にくれたままのデイヴの妻とパレードの車に乗った息子がほんとうにやるせない。人生に釣り合いなど取れるはずのないなんて分かり切ったことが、どうしようもなく悲しい。
 うろ覚えだけれど、ラストのパレードのシーンでこんな台詞があって、そうであればどんなにか救われるのだろう。
 あのままみんな車に乗っていて、それですべてが夢であれば良かったのに。

 ついでにアメリカ映画といったらそれはアメリカを描いていることでもあるので、その視点で見ると、この普遍的な人生を描いた映画は、アメリカが直面する問題を描いた映画でもある。
 「愛のために行われることはすべて正しい。ほかの人は弱いが、あなたはこの街の王」というジミーの妻の台詞はそのままイラク戦争への意見に繋がっている。
 兄を愛するがゆえにおこなわれた殺人。犯人の父を過去に殺していた罪。復讐のための正義。誤解に過ぎない大儀。愛という正当化による正義の執行こそが、さらなる愛のための復讐を生み出す連鎖。
 人々の人生は錯綜し、誰かの愛と正義は、誰かの憎悪と復讐へと繋がっていく。突如として理由もなくおそってくる暴力に弱者はなす術もなく飲み込まれ、そしてそれが誤解であったとしても取り返しなどつかない。だからこの映画には、行き場のない悲しみが全編を覆っている。
 そしてたったひとつ、この映画での救いでもあるショーンと妻との和解のきっかけが「僕も悪かった」という言葉であることも。
* 2010/07/27(火) # [ 映画感想文 ] トラックバック:0 コメント:0

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