÷0  ジャンル雑多な読書感想文
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真夜中のカーボーイ
真夜中のカーボーイ
ジョン・シュレシンジャー監督

 最後のシーンがバスの中だからって、『カウボーイ』を『カーボーイ』と訳しちゃいかんだろ…。作品の意味が全然違ってしまうのに。
 ラストの結末は知っていたけれど、想像していたより後味はそんなに悪くない。物質主義社会批判やフラッシュバックを表すイメージの挿入など、ちょっと鬱陶しいくらいの演出もあるけれど、基本は田舎者で世間知らずでカウボーイ気取りのジョーと小ずるいびっこの小悪党<ネズ公>ラッツォ・リコの奇妙な友情物語。
 今回のカウボーイの乗り物は『バス』。行きも帰りもバスに揺られて右往左往。自分じゃどうしようもないです。大いなるアメリカの象徴、カウボーイもここまで落ちぶれてしまった…。というか、かつてのマッチョニズムの象徴が女性に見向きもされなくなって、孤独と友情とホモセクシャルの間で揺らめいている感じ。(だって主人公は男性に強姦されたことも、男に体を売ったこともある上に、寝た女にゲイかと聞かれてあんなに動揺しているのだから今更関係ないとは言わせない)
 ところで『蜘蛛女のキス』を読んだ時にも思ったけれど。粗相をした時に許してもらえる相手がいるという強烈な安心感の描写は、ずるいくらい効くなあ。男女間ではほとんど見かけないし。この映画のそういう相手を親身に気遣う描写(互いに身繕いしてやったりとか)にはすごくぐっと来るものがあります。
 うさんくさいイメージを垂れ流すラジオを売って、悪夢のような街N.Y.を離れて、カウボーイジャケットや汚れた衣服を捨て、マイアミ風の身の丈にあったこざっぱりした衣装に着替えて、マイアミへのバスの中でジョーがリコに語った希望(もちろん叶うはずがない)は、夢見ていたものよりずっと小さなものでしみったれているけれど、でもそんなに悪くない形だと思う。彼らの中にあったのは『愛情』と呼んでもいいものだと思うけれど、みじめな最底辺で築いた叶わなかったものでも、それを築けたのなら、この映画はそんなに絶望的ではないのではないかなあ。

 この映画のテーマの一つには『女性からの疎外』が含まれている。そもそもはじめから主人公の目標が金持ち人妻のヒモになるという時点であれだし、都会に来ても淑女の背中に拒絶され、娼婦にだまされ、ヤクでトリップした女とうまく繋がらない。ついでに育ててくれた祖母にはわだかまりがあり、過去の恋人との断絶は決定的。そして最後のシーンは、バスの中の女性達に不信気に見つめられ、不安そうな主人公のアップで終了。もう男同士で分かり合うしかないというか。まったくもって時代遅れのロマンチシズムの象徴、『カウボーイに興味を持つのはホモだけだ』という作中の言葉通りなのでした。(もちろんこんなカウボーイ映画を見ている私たちも、だ)
* 2008/12/20(土) # [ 映画感想文 ] トラックバック:0

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