÷0  ジャンル雑多な読書感想文
2008.11 « .1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31» 2009.01
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
* --/--/--(--) # [ スポンサー広告 ]
博士の異常な愛情
博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか
 スタンリー・キューブリック監督

 キューバ危機とほぼ同時代に作られた映画。ひりひりと張りつめるような核抑止力の緊張の中で、これを笑って見られるのかというと疑問。冷戦も今は遠い現代から見れば、未だ強烈な毒を含むブラックユーモアたっぷりの愉快な映画。どこかでありえたのかもしれない歴史を描く、軽く世界滅亡もの。
 アメリカの狂った一軍人の命令によって引き起こされるソ連への核先制攻撃。そして自動報復装置による世界の終わり。ラストは核の花が咲きながら、『We'll meet again(また会いましょう)』と脳天気な歌が流れて唐突にエンド。もう笑うしかないじゃないか。幻のパイ投げシークエンスはちょっと見たかったけれど、やめて懸命だったと思います。ついでに、核爆発画像に歴戦をくぐり抜けたのちアメリカに接収された軍艦「長門」が出ていて哀愁を醸します。
 アメリカ首脳陣が集まる会議室のセットも素敵。外の様子は一切見えず、てんでバラバラでまとまらない命令だけが飛び交うのは、まるで本当の脳内のよう。
 印象に残ったのは、セラーズの一人三役。演技も上手いし、演出でも効果的。一人目は狂った上司(この人が全ての発端)を押しとどめようとするイギリス軍将校マンドレイク大佐。二人目は、事態を何とか収拾しようとするアメリカ大統領。三人目は、ドイツから亡命してきたと思しき怪しげなストレンジラブ博士。(史実として、この時期のアメリカは冷戦で勝つためにドイツの優秀な技術者をたくさん引き抜いている)自分でも制御できない黒い革手袋をはめた右手を持ち、つい「わが総統!」とか口走ってしまう危ない人。一人で演じるこの三役が、必死に止めようとしながら楽しそうに滅亡へと突っ走っていく、危うい人類の象徴のような感じ。

 で、この映画にもまたカウボーイ(これもセラーズが演じる4人目になるはずだった)が出てくる。今度の乗り物は『核兵器』。もちろん最初から様々なイメージで示唆れているとおり、その腰の下のでっかい兵器はメタファーでもある。(撮る角度がまたえげつない)最初の空中給油シーンとか、秘書との密会とか、『体液』が脅かされているという話とか、明らかに性行為を示唆しているそれらのシーンが示すものは、戦争遂行の重要な決断時に占める『男らしさ』の誇示というくだらなさ。(で、それにこだわる奴らがまた男に妙になれなれしいのがあれだよなあ)
 この延長で、地下の核シェルターに避難しようと計画を立てている時に、異様に繁殖行為(男1人に女10人をあてがって子孫繁栄!)にこだわるのも非常にまっとうな流れではある。オスとしてのセクシャルアピールを見せつけるための戦争とセックス、破滅と豊饒の相反する二面性がもたらす世界滅亡と未来への意欲。その壮絶なばかばかしさに笑ってしまえ。

それではまた来年!
スポンサーサイト
* 2008/12/26(金) # [ 映画感想文 ] トラックバック:0
真夜中のカーボーイ
真夜中のカーボーイ
ジョン・シュレシンジャー監督

 最後のシーンがバスの中だからって、『カウボーイ』を『カーボーイ』と訳しちゃいかんだろ…。作品の意味が全然違ってしまうのに。
 ラストの結末は知っていたけれど、想像していたより後味はそんなに悪くない。物質主義社会批判やフラッシュバックを表すイメージの挿入など、ちょっと鬱陶しいくらいの演出もあるけれど、基本は田舎者で世間知らずでカウボーイ気取りのジョーと小ずるいびっこの小悪党<ネズ公>ラッツォ・リコの奇妙な友情物語。
 今回のカウボーイの乗り物は『バス』。行きも帰りもバスに揺られて右往左往。自分じゃどうしようもないです。大いなるアメリカの象徴、カウボーイもここまで落ちぶれてしまった…。というか、かつてのマッチョニズムの象徴が女性に見向きもされなくなって、孤独と友情とホモセクシャルの間で揺らめいている感じ。(だって主人公は男性に強姦されたことも、男に体を売ったこともある上に、寝た女にゲイかと聞かれてあんなに動揺しているのだから今更関係ないとは言わせない)
 ところで『蜘蛛女のキス』を読んだ時にも思ったけれど。粗相をした時に許してもらえる相手がいるという強烈な安心感の描写は、ずるいくらい効くなあ。男女間ではほとんど見かけないし。この映画のそういう相手を親身に気遣う描写(互いに身繕いしてやったりとか)にはすごくぐっと来るものがあります。
 うさんくさいイメージを垂れ流すラジオを売って、悪夢のような街N.Y.を離れて、カウボーイジャケットや汚れた衣服を捨て、マイアミ風の身の丈にあったこざっぱりした衣装に着替えて、マイアミへのバスの中でジョーがリコに語った希望(もちろん叶うはずがない)は、夢見ていたものよりずっと小さなものでしみったれているけれど、でもそんなに悪くない形だと思う。彼らの中にあったのは『愛情』と呼んでもいいものだと思うけれど、みじめな最底辺で築いた叶わなかったものでも、それを築けたのなら、この映画はそんなに絶望的ではないのではないかなあ。

 この映画のテーマの一つには『女性からの疎外』が含まれている。そもそもはじめから主人公の目標が金持ち人妻のヒモになるという時点であれだし、都会に来ても淑女の背中に拒絶され、娼婦にだまされ、ヤクでトリップした女とうまく繋がらない。ついでに育ててくれた祖母にはわだかまりがあり、過去の恋人との断絶は決定的。そして最後のシーンは、バスの中の女性達に不信気に見つめられ、不安そうな主人公のアップで終了。もう男同士で分かり合うしかないというか。まったくもって時代遅れのロマンチシズムの象徴、『カウボーイに興味を持つのはホモだけだ』という作中の言葉通りなのでした。(もちろんこんなカウボーイ映画を見ている私たちも、だ)
* 2008/12/20(土) # [ 映画感想文 ] トラックバック:0
タクシードライバー
タクシードライバー
 マーティン・スコセッシ監督

 直前に見た『イージー・ライダー』と較べると、来るとこまで来てしまった感のある映画正直、この作品を見た後には『ロッキー』がものすごく必要になるアメリカ人の気持ちがよく分かる。個人には無限の可能性がある!努力は報われる!スポ魂万歳!エイドリアン!
 この作品もやっぱり何かに乗って走る(西部劇のスタイルは欠かせない)。今度はバイクじゃなくてタクシー。監督だったか脚本家曰く「孤独な鉄の棺桶」とのこと。走る場所は現代都市ニューヨーク。たくさんの人とあらゆるものが集まっている。汚いもの(セックスとか薬とか暴力とか)にまみれた街を洗い流すように雨が降る。多くの人が行き交い、出会うが、誰も理解してくれるひとはいず、孤独が人々を覆う。曲がりくねり錯綜する道を縫って、主人公トラヴィスはタクシーで走り続ける。
 サックスの甘い調べと、シンセサイザーの無機質で危なげなメロディの組み合わせがテーマ音楽だけれど、両者の駆け引きによる緊張感がまたうまい。ラスト近辺でも非常に効果的に使われている。
 ニューシネマ末期ということで、お約束のアイテムも主人公と距離を取って描かれる。セックス→ポルノ映画の中、トラヴィスが助けようとする売春婦が他の男とする、ということで主人公に直接は関係ない。薬→ドラッグじゃなくて不眠症のための薬。暴力→あれだけの暴力シーンを描きながら、『力』それ自体さえも主人公自身に明確に内在するものではない。タクシー客の言葉『マグナムで妻を撃ち殺してやる』や主人公が自己投影するSPから与えられたモチーフである。あと直接は描かれないベトナム帰還兵であるという推測。ということで、これもやっぱりひねくれたニューシネマの形。
 好きなシーンは、トラヴィスが三角関係を演じる陳腐な恋愛ドラマの画面を踏みつけながら、テレビに銃を突きつけるシーン。この都会の中で、何の役にも立たないそんな嘘っぱちは蹴り倒してしまえ。
 ラスト近辺での残虐シーンは非常に苦手なのですが、何しろ迫力がある。俯瞰シーンとか死体の握る銃を追っていくカメラとか、サックスでのメインテーマの崩れたメロディなど、印象的なシーンもとても多い。(トラヴィスの頭を打ち抜く最後の銃が、彼自身の指であるあたりも)
 とにかく上手くて面白いなあ、と思っているうちに過ぎた120分でした。

 これはニューヨークでの物語だけれど、『都会』というモンスターのようなメガロポリスには共通する部分が多くて鬱々とした気分になる。
 出てくる主要人物もみんな孤独を抱えているが、この作品の中でトラヴィスと他者のコミュニケーションは一切成功していない。アプローチをかけた女性には嫌われる。彼が(身勝手に)救おうとした娼婦の少女にも裏切られたまま、その後の交流はない。そして彼も他人を理解しない。
 なんにもない主人公の部屋には、断片的な他人の言葉(選挙ポスターなど)が散らかっているだけ。あきれるほど空っぽな主人公が、現状に対する漠然とした焦りと圧倒的な孤独の中で、都会に溢れる様々なモチーフを吸収しながら狂気に侵されていく筋立ては、内面からじわじわと責めてくるようで地味にくる。主人公の髪型の変遷や、武器改造や、修行シーンなど、男の子心をくすぐる演出は魅力的だけれど恐ろしい。狂気maxのモヒカン時の目つきはとんでもなくやばいし。
そして彼の狂気は破滅という『結末』をつけることさえ許さず、どこかにあったのかもしれない善意や夢や希望までも呑み込んで、えんえんと流れ続ける。最後に彼が英雄になったのは、銃の配置など単なる偶然の結果(あるいはアメリカ社会が歪んでいたから?)に過ぎない。イージー・ライダーはアメリカを横断する一本道のような一方通行だったけれど、この作品は複雑な都市を巡るような円環構造という解釈でよいのかな。
 最後の場面はそのまま『ふりだしに戻る』トラヴィスの髪型は普通に戻り、あいかわらず理解してくれる人は現れず、全く孤独なままで、タクシーはOP同様汚らしい街を洗い流してもくれない雨の中を走り続ける。そしてまた彼が孤独の中で狂気への道を辿り、凶行を犯さない保証は何もない。
* 2008/12/16(火) # [ 映画感想文 ] トラックバック:0
映画感想文
今年はわりと面白い映画をたくさん見たので、その感想文
とりあえず無難に有名作を見てみたという感じで
相変わらず新作はほとんど無いです
各作品ネタバレ注意。
まとめ→カウボーイは何でも乗りすぎです


○愉快なSF映画
・「2001年宇宙の旅
 スタンリー・キューブリック監督
 当時としては画期的にリアルな宇宙船の描写。人類の存在意義、宇宙の使命をにおわせる壮大なストーリー。今となっては古くさいがCGを使った斬新な表現(10分くらいあって退屈)。
 そんなものはどうでもよく、ひたすらHAL9000が可愛かった。柔らかい人工音声とかカメラの焦点が絞られるシーンとか、合理性を徹底した機械ゆえの残酷性とか微妙に感じられる個性とか、わたしの好む人工知性そのままの感じで非常によろしい。最後に停止状態になりゆくHALが割れてしまった声で『デイジーデイジー』を歌ってくれる場面は今年一番の感激したシーンだと断言できる。(映画版でHALの不調の理由はあかされないが、小説版では何者かがHALのプログラムを不正に書き換え、その齟齬による統合失調であることが書かれている)

・「スターシップ・トゥルーパーズ
 ポール・バーホベン監督

 虫エログロバカ映画。SF的に大変正しくて楽しい。
 外国人を異星人に置き換えただけのしょうもないSFや、その異星人(黄色いサルとか)をやっつけて意気揚々の戦争を、さんざんコケにしつくしていてSFや戦争映画へのかなり意地の悪いパロディでもある。しかもとことんまでやり尽くしているので、露悪的で悪趣味とも言えよう。でもそれをやるのがSFの一つの形なのではないかなあとも思う。
 ちなみに原作はしんみりタイムトラベルSF『夏への扉』で有名なロバート・A・ハインライン。作者の意図とは明らかに違う目的でつくられているけれど、ビュンビュン撃ち合いしているシーンやぐちゃぐちゃと虫が大騒ぎしているシーンは、やっぱり映像として楽しいのだからしょうがない。

○そういえば邦画も
・「七人の侍
 黒澤明監督
 BSで特集していたので。息づかいが聞こえてきそうな、白黒の泥臭いまでの躍動感が印象に残った。七人の個性を持つ侍、馬や人が荒々しく生きる戦国、老人と若者、本物と偽物、そして臆病で傲慢で生き汚くそれでも毎日を懸命に生きる農民。様々な要素が組み合わさりながら、決して混乱せずに最後まで緊張感を持って見通すことのできる、文句なしの『大作』。
 特に勝新太郎演じるニセ侍が目を引く。乱暴で無鉄砲で、でも愛嬌のあるあの演技はすごいなあ。旗のシーンは、ベタといわれようともちょっと感動せざるをえない。
 全編通して流れる『貧しさ』という通奏低音が作品の悲哀でもあり、力強さでもある。だから野武士と農民同士の戦いはあんなにも悲惨で、侍にとっては負け戦なんだろうなあ。
 それにしても、野武士は何で最後まで抵抗するあの村をおそうことに執着したのだろう?

○アメリカン・ニューシネマでGO!
・「イージー・ライダー
 デニス・ホッパー監督
 腕時計(わかりやすい象徴)を捨てて、そのままバイクに乗って走り出すOPとバックに流れる『Born to be wild』が格好良すぎる。イントロが流れるだけでもう。
 小農場主、ヒッピーのコミューン、南部の閉鎖的な街、復活祭のカーニヴァル、60年代のどこか閉塞感漂うアメリカ南部を、アメリカ国旗を背中に縫いつけたメランコリックな<キャプテン・アメリカ>とカウボーイハットをかぶった奔放な野郎ビリーが、どこまでも自由に駆け抜ける。
 セックスとか薬とか暴力が全くそのまま描かれていて、ニューシネマの代表作だなあと思った。そのストレートさがこの作品のとてもいいところだと思う。雄大な自然に囲まれた、どこまでも続くまっすぐな一本道というアメリカの道のようなところが。
 あざとい感じさえするフラッシュバックなど演出のうまさにはびっくり。娼婦とのシーンで聖母の像にもたれかかる<キャプテン・アメリカ>の図がいいなあ。
 で、面白かった台詞はドロップアウト弁護士のこれ。「アメリカ人は自由を証明するためなら殺人も平気だ。個人の自由についてはいくらでもしゃべるが、自由な奴を見るのは怖いんだ…」これが映画のテーマの一つでもあるわけですが、『自由』って難しいとこの映画を見ると改めて思う。
 この作品は、馬をバイクに乗り換えた西部劇でもあるのだけれど、そのアメリカ的伝統劇のたどり着く結末があれなのか。見るものを突き放す唐突な結末は、けれどこの一本道のラストとしてとても鮮やかだと思う。

・「タクシードライバー」
 思いのほか長くなったので別項に。都市在住なのでイージー・ライダーより感情移入してしまうのかも知れない。
 この映画の<変則>カウボーイはタクシーに乗ります。

・「真夜中のカーボーイ」
 ちょっと長くなったので、これまた別項に
 今度はバスに乗ったカウボーイ。

○画面が楽しいイタリア映画
・「郵便配達は二度ベルを鳴らす
 ルキノ・ヴィスコンティ監督

 とにかく画面の説得力が半端じゃない。役者の表情のアップ一つや、遠景の構図一枚、その全てがストーリーの必然性をつくっている。白黒特有の迫真感も光る。これまで映画なんてほとんど興味が無くて誰が作っても同じだろうとか思っていたけれど、今まで見たものと全然違って驚愕のひと言。
 ネオリアリズモに属する庶民の生活を描いた作品だけれど、ストーリーはわりとどうでもいいです。最後のオチはちょっと教訓くさい気がするし。
 主人公は旅芸人の男の人と一緒に行けば良かったんじゃないのかなあと思うけれど、どうなのだろう。

・「白夜
 ルキノ・ヴィスコンティ監督

 抑えたさりげない演出と、控えめなストーリー展開が素敵な小品。静かな雪の降り始めと止むところが、何にもヒントはないけれど、形もないまま終わってしまう恋を象徴していて素敵だ。
 ラストの置いてかれてしまって、猫と戯れているマストロヤンニが非常に可愛い。


・「山猫
 ルキノ・ヴィスコンティ監督
 今年のザ・ベスト。ストーリー・演出・構成など、全てにおいて完璧の豪華な一本。
 貴族の生活を彩る数多の豪華な装飾品や色とりどりの豪奢なドレスなど、装飾と色彩の氾濫と言ってもいいほどなのに、全くやりすぎでも鬱陶しくもないのが素晴らしく奇跡的で、作り込まれている。色調が抑えてある素朴なシーンも非常に素晴らしく、どのシーン登場人物の動線ひとつとっても、練り上げられた絵画一枚のようで、とにかく美しい。
 映画のテーマは、主人公のセリフを通して何度か示されるけれど、抑えが効いていて決して押しつけがましいことはなく、美しい映像の中でしんみりと確かに伝わってくる。
 「頽廃美」を描いた作品とされるけれど、斜陽の貴族階級はその倫理を決して失ってはおらず、滅びゆく者だけが持つ力強さと儚さで踊る最後のワルツは、とても華麗で美しい。そして舞踏会のシーンは何一つ無駄がないと私には思えるので、勝手に削るのは万死に値すると思います。
 闇に消えていくラストは「夏の嵐」と同じだけど、何を表しているんだろう。

・「甘い生活
 フェデリコ・フェリーニ監督

 エイの死体と女の子。
 映画としては短編集という形。それぞれの話の相互の関連性はほとんど無いけれど、微妙に繋がっているようなシーンがあったりなかったりで、各自想像して楽しみましょう。ちょっとうんざりした感じの、神と自然と文明と頽廃の「甘い生活」。

・「フェリーニの8・1/2(八と二分の一)
 フェデリコ・フェリーニ監督
 見ていて楽しいのでそれでいいじゃない、と思えた映画。幻想的でシュールな風景が混じっていたり、暗いけれどどこか軽やかだったりする画面がとにかく楽しい。
 あらすじ?著名な映画監督のグイド(フェリーニの分身)は、新作の構想と療養のため、温泉地へとやってくる。しかし、一向に定まらない映画内容と、周りの出資者に接する苦悩だけが積もっていく。いつしかグイドは、自らの理想の世界へと現実逃避する。
 テーマは映画を作ること、つまり人生、そして存在することについての悩みといったっていいけれど、「映画が作れないなあ」とぐちゃぐちゃ言いながら一本の映画を作ってしまうのが面白い。でもそんな一見愚痴でしかないような断片を夢のように積み重ねて、いつのまにかテーマを描き出してしまうのがまた楽しい。
 「甘い生活」では成り立たなかった無垢な少女との対話は、今作では成立するけれど、やっぱりうまくいかない。そんなこんなで最後にみんなで手を繋いでぐるぐると踊り出すラストが素敵。不信と愛せない者で満ちた世界だけれど、そのことを見つめて手を繋いで踊れば、それだけで称賛に値する世界なのだなあ、とか。

○イーストウッドが普通に格好良くて困る
・「ミリオンダラー・ベイビー
 クリント・イーストウッド監督

 小説でも映画でも、アメリカは倫理について真摯に取り組む国だなあと思う。イーストウッドが渋くて格好良かった。以上。

・「スペース・カウボーイ
 クリント・イーストウッド監督
 "Fly me to the moon"といえば、エヴァじゃなくてこっち。シナトラの甘い歌声に酔いしれましょう。
 今度の『西部劇』はついに、馬の代わりにスペースシャトルに乗ってしまう。
 あらすじ。かつて空軍のテストパイロットとして活躍したフランクは、米国初の宇宙飛行士になるはずだったが、選ばれたのはチンパンジーだった。フランクはその後整備士となり、引退する。しかし、NASAはフランクに人工衛星の修理のために宇宙に行って欲しいと頼む。そこには謎と陰謀の影が。かつての夢のため、フランクは仲間(全員老人)とともに、今、立ち上がる。
 イーストウッドが西部劇で名をあげたことを思えば、これはかつてスターであった自分が、変わっていく時代と老いを見つめながらその中で何ができるか、という自己パロディでもあるんだと思う。でも嫌みな感じはしなくて、笑えながらもちょっとしんみり来るところが良かった。
 テーマソングと共に、月にたどり着いた主人公の宇宙服のヘルメットに地球が映る最終シーンは反則。

○アニメも見た
・「うる星やつら ビューティフル・ドリーマー
 押尾守監督
 浮遊感が楽しい学園祭準備中のラムや、風鈴に取り囲まれる幻想的なしのぶのシーンなど、素敵なシーンが多くて楽しい。
 話の内容は、日常系ギャグマンガの強固で危うい『日常』という枠組みへの疑問+クリエイターの夢という感じ。何重かのメタフィクション構造を採りますが、慣れてればわりと分かりやすい話。夢邪鬼は夢の作り手、つまりフィクションなる創作物をつくるクリエイターでもあるってことなんだと解釈したわけですが。
 人気アニメを利用してここまでやったのは実験として面白い。でも、クリエイターがここまで堂々と出てきて自分の言いたいことをそのまま言ってしまうのは、ちょっと節操がないのではないかと私としては思う。


・「ウォレスとグルミット」シリーズ
 アカデミー短編アニメーション部門も受賞したクレイアニメ。『野菜畑』は未視聴。
 子ども向けのアニメだけれど、そんなの関係なく非常に面白かった。イギリス製というわけで、ペットで相棒犬のグルミットとのユーモラスな関係や、ロケットの内装までがヴィクトリアン調なイギリス精神とか、食べ物が全然美味しそうじゃないところが、なんだかイギリスっぽいなあと思って楽しい。
 味わいあるキャラクターたち。
ウォレス:主人公で発明家。チーズ大好き。
グルミット:ウォレスの飼い犬。意外と有能。セリフはないけれど、粘土による表情豊かな表現で視聴者の心をわしづかみ。読書をたしなみ、ロケット・飛行機も操縦できる。

ショーン:小さな羊。うっかり毛を刈られてしまい、その自分の毛で編んだセーターを着てる。
フェザーズ・マッグロウ:可愛い顔して冷血非道なギャングペンギン。常に冷静で、目的のためなら手段を選ばない。かっこよすぎる。
 あと戦闘映画やSF、クライムものなど様々なジャンル映画のお約束を意識的に使い、それがまた巧い。スピード感溢れるカメラの動きやスリル溢れる演出などメリハリの効いた構成も見やすい。あと、観客を信頼しているゆえの無駄な展開や説明の省略。そしてラストの余韻。発明家が主人公なので各作品にはおもしろ機械(使えるかは微妙)がたくさん出てくるのだけれど、そのアンチテーゼとしてテクノロジーの反乱や悪用っぽい機械も出てくる。でもそれを全否定するのではなく、優しいユーモアでくるんで許容しつつ、にやりとさせられるラストが素敵。
 というように、映画の楽しい要素をつぎ込んだような作品でとても楽しめました。
 子ども向けだからと言って子どもを全く信用せずに、ぐちゃぐちゃと説教くさいことや不必要なまでの説明付けをだらだら垂れ流しているだけの作品(多すぎるよ!)には猛省を促したいところです。


○コメディも見た
・「博士の異常な愛情 あるいは私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」

 これもちょっと長くなったので、別項
 ついに『核兵器』にまで乗ったカウボーイ。おお、さすがアメリカの象徴。

・「モンティ・パイソン ホーリーグレイル」
 アーサー王と円卓の騎士が聖杯を求めて大冒険。時代考証が無駄に忠実らしい。高学歴め。
 殺人ウサギ最強!ダイナマイトで爆破されるけど。Ni!

・「モンティ・パイソン ミーニングオブライフ」
 エログロが相当強化されたスケッチ集。人生の意味を一緒に考えようぜと、ゆりかごから墓場まで様々な場面を描いている。楽しいのは病院での出産シーンにある高価なピーンマシン。何が起ころうととりあえず『ピーン』と鳴る。それだけ。あと魚を探そうスケッチも全くのナンセンスで楽しい。何をやってるんだか。
 けれどやっぱり無条件に好きなのは、随所に挟まれる音楽。OPや、予算のほとんどを使ったミュージカル"Sperm song"、最後に死神に連れられた先の天国で聞ける"Christmas in Heaven"などなど、聞いてるだけで非常に愉快な気分になれる。特に"Galaxy song"がいいなあ。

 「ライフオブブライアン」も見たいけれど、近くに置いてない。劇中歌の"Always look on the bright side of life"はすごく良い歌なのに。ろくでもない人生の全く馬鹿らしく救いも何にもない十字架の上で流れるところが特に。
* 2008/12/10(水) # [ 映画感想文 ] トラックバック:0
赤い右手
赤い右手
J・T・ロジャーズ 国書刊行会

 シリーズ世界探偵小説集から。カルトというかクセのあるミステリということで読んでみた。
 あらすじ。語り手であるハリー・リドル(医者)は出先での手術帰りにエリナ・ダリーという女性に助けを求められる。彼女は婚約者セントエーメとのハネムーン中に、ヒッチハイクで拾った浮浪者<コークスクリュー>に襲われたというのだ。そしてその後、右手のない死体が見つかる。その後も連続して起きる殺人、あやふやな記憶、不可解なアリバイ、いくつもの錯綜した記憶の先にある謎とは?
 そもそもワトソンくんからの伝統で、自分は客観的だと自称する医者の話が信用できるわけもなく、込みいった時間軸や、真偽不明の推測、あやしげな証拠、そしてめまいのする夢遊病のような語りに、一気に引き込まれる。ミスリードもふんだんに含まれており、ある程度ミステリなれした読者なら疑心暗鬼いっぱいに楽しめる。そして何より不明瞭な記述こそが夏の眩暈のようなあやふやさを生み出して、事件の謎と共に読者の興味を引っ張ってくれる。
 ミステリとしてはどうなのかと思う部分がないでもないが、ミステリの枠組みを持った読み物としては十分に面白いです。

以下ネタバレ
* 2008/12/06(土) # [ 読書感想文 ] トラックバック:0
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。