÷0  ジャンル雑多な読書感想文
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ゼロから無限へ
ゼロから無限へ 数論の世界をたずねて
コンスタンス・レイド 集英社ブルーバックス

 ゼロから9までの話、そして…(無限)の話、eの話。中学生にも分かるように語ってくれる数論の世界。筆者や数学者の数学への感動がいまひとつよくわからない部分も結構あったが、それでも面白そうな話も多かった。以下、気に入った話をいくつか
『3の話』
 素数について。最近、素数を話題にした本が目に付くなと思ったので。素数はあらゆる自然数を作るための、それぞれ形の違うレゴ1ブロックみたいなイメージ。それを組み合わせることで、色々な数を作ることができるし、ブロックそれ自体も面白い性質を持っている。簡単そうで奥の深い、つかめそうでつかめない、数学者を翻弄する魅惑の数。
『…の話』
 無限について。無限とは、一部分が全体と等しいような集合のこと。よって、自然数全体と有理数全体(b/aで表せる数)は同じ無限集合のアレフ・ゼロ。けれど0と1にある無限小数の全体はアレフゼロより濃度が大きい無限集合アレフ2(と推定される 2番目であることの証明は不完全性原理によって証明不可能なことが証明されている)。自然数で数え上げることが不可能だからである。なんか不思議な感じだけれど、定義の明確化によって得られる結論は、どんなに変であっても、誰にとっても明らかに正しくて面白い。きつい制約による自由という感じか。そんな無限集合を考え出したカントールの言葉。
数学は全く自由な立場で発展した。従わなければならない条件は、自己自身と矛盾しないことと、以前に作られテストされた概念と明確な関係を持つこと、これだけである。(中略)これらの条件が満足する限り、それは数学的に真に存在すると認めるべきである。
『eの話』
 オイラー数と呼ばれる数について。この数が生物学や物理学や経済学など、様々な分野で重要な意味を持つ数というのは聞いたことがあったけれど、今までさんざん苦労してきた素数について、その分布濃度を表しているのには驚いた。数学はまさに、『科学の女王』と呼ばれるその所以の一端が分かる気がする。ちょっと冷たそうなところも含めて。

 ところで、この本は40年近く前に書かれているのだが、この分野はコンピューターの計算能力の向上による恩恵を多大に受けているようなので、今とはまた随分状況が違いそう。「フェルマーの最終定理」も証明されてしまったことだし。
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* 2008/11/29(土) # [ 読書感想文 ] トラックバック:0
読書色々
今月は自然科学推奨月間

進化しすぎた脳
池谷裕二 朝日出版社

 大脳生理学者が中高生に語る講義形式、というわけで読みやすかった。最先端の脳科学について。
 「見る」ことの不全にたいして脳が穴埋め解釈することで起きる錯覚の話や、脳波から直接ロボットアームを操作するサルや、逆に脳に直接命令することで動かす<ラジコン>マウスの話など、興味深い話題がたくさん。
 神経細胞のシナプスでの伝達など、昔習ったことよりどんどん解明が進んでいるのだなあと思いつつ。
 一番面白かったのは扁桃体の話。ここは恐怖という感情(理性?)を司っている場所。研究によると、危険なものという認識→『こわい』というありありとした感情(クオリア)と、危険なものという認識→回避行動、という経路は別らしい。扁桃体にあるのは後者。で、これを取り除くと本能のままに行動してしまう。普通は危険→『こわい』→回避行動だと思っていたので、感情と行動の相関性が不思議に思えた。
 ところで脳は体からの入力によって作られる部分が大きいので、AI(人工知能)をつくっても、人間はその思考を理解できないのではないか、というところでレムのゴーレムを思い出した。SFとかでもっとそういうところを取り上げてくれると、個人的には嬉しい。人間の焼き直しにすぎない異星人やロボットはちょっと飽きたというか。
 脳に基づく認識論とか心身論とか、哲学や文学で活かしたら、(もうあるのかもしれないが)もっと面白そうだと思う。


偶然と必然
ジャック・モノー みすず書房

 タイトル買い。副題は原題生物学の思想的問いかけ。ノーベル生物学賞受賞者が書いた、数十年前のエッセイ。フランス人ぽく実存主義的な、科学の突きつける倫理について。
 以下、面白かった部分。自分の生まれる確率も、こんな感じなんだろうか。
宇宙の中で起こりうるあらゆる出来事の中で、ある特定の出来事が生ずる先験的な確率はゼロに近い。ところが、宇宙は実在しており、その中で確率が(それが起こる以前には)ほとんどゼロであったある出来事も、確かに起こるのである。現在のところ、生命が地球上にただ一度だけ出現したということ、したがって、生命が生まれる以前には、その出現する確率はほとんどゼロであったということを、肯定する権利も否定する権利もわれわれはもっていない。


「ゼロから無限へ 数論の世界をたずねて」
 数学の数についての解説書。意外に長くなったので、また別項にて。

フェルマーの最終定理
サイモン・シン 新潮文庫

 17世紀のフランスの数学者、フェルマーが残した簡潔な定理を、300年経って最新の数学論理を使って証明するまでを描いたノンフィクション。各個人の伝記と、数学の大統一という壮大なロマンが重なる。数学的内容はあんまりない。
 ハイゼンベルクの不確定性原理とゲーデルの不完全性原理をごっちゃにしていたのが判明。(量子の運動量と位置の両方を同時に正確に知ることはできない)と(真なる命題が数学体系内で必ずしも証明できるとは限らない)

異端の数ゼロ
チャールズ・サイフェ 早川書房

 数学界の異端児、ゼロと無限が西洋にていかに避けられ、そして受け容れられてきたかについて。数学の概念さえ破壊しかねない、それでいて神のような働きをする不思議な数たちへの探求の軌跡。
 高校で数学と物理を少し学んでいると分かりやすいかと。乾いたユーモアが随所に挟まれていて、面白い。÷0が可能ならば、チャーチルとニンジンが同じものであることが数学的に証明可能なのです。


ウォール街のランダム・ウォーカー
バーハン・マルキール 日本経済新聞社

 第8版。不景気って何だろうと思って読んでみた。オレはウォール街に打ち勝ってみせる!という本。投資理論の解説とそれにもとづく投資指南書。個人的に解説書に必須な、分かりやすい比喩・豊富な具体例・愉快なユーモアがふんだんに含まれていたので、面白く読めた。解説自体も丁寧で良心的なので良い本だと思う。内容を鵜呑みにするかどうかは別として。
 内容を要約すれば『インデックス・ファンンドに長期分散投資しましょう』
 市場は社会心理に大きく左右されながら、最終的にはおおむね合理的に値段を織り込んでいくと言うことでOK?チューリップバブルとか、南海株式会社バブルとか、何世紀も前からあんまり変わらないもんだな、と思いつつ。
 面白かったのは、チャートに基づいて投資するテクニカル分析をボコボコにしている章。欧米の(イヤミっぽい)論理的なユーモアは、私としてはツボだと思う。
* 2008/11/29(土) # [ 読書感想文 ] トラックバック:0
藤原定家 美の構造
藤原定家 美の構造
吉田一 法政大学出版局

 百人一首の編纂者にして新古今和歌集の随一の詠み手、藤原定家について。「絢爛たる暗号 百人一首の謎を解く」を読んで、興味を持ったので読んでみた。ちなみに「絢爛たる暗号」もすごく面白い。「暗号~」の概要は、言葉遊びが上手くて巧みに和歌を詠んだ定家がなぜ、言葉のだぶりやいまいちなセンスの歌までいれて、百人一首を作ったのかについて。ふすまに飾るはずだった歌を詞を手がかりにパズルのように並べてみれば、そこに浮かび出すのは四季折々の景色と二人の貴人への思いなのでした。
 さて、こちらの本について。

第一章 ささめき・ささやき
 定家にまつわる二人の貴人について、定家の兄が式子内親王を、定家の次女が後鳥羽上皇を語る短編小説風。和歌の幻想の美を追い求めながら、現実では俗っぽく生きる定家の矛盾あふれる不健康な恋(?)について。10も年上の高貴な女性への決して叶うことない想像上での恋愛。望みがない思慕ゆえに、和歌に詠まれる仮託された想いはより一層哀切で、切実である。そして18も年下の定家の和歌の最大の理解者にして政治も絡み合った天皇への愛憎。時は鎌倉幕府ができてまもなく。和歌へのスタンス、政治に関する立場の相違は決して埋められない溝を築き、そして承久の乱でその溝は決定的になる。
 こう見ると、遠島に流された上皇がずっと古今和歌集を編纂し直しながら執拗に定家の歌を削っていくのと、精緻な仕掛けを凝らして小倉百人一首を編んでいく定家の対比は好対照かつ愛憎溢れすぎでこわい。

第二章 定家十首
代表的な十首についての解説。
梅の花 にほひをうつす 袖の上に 軒もる月の 影ぞあらそふ
定家永遠のテーマ『梅花月光』を詠み込んだ一首。
嗅覚と視覚が争いながら描き出す美しい情景。また同時に袖→涙を拭く→失恋の悲しみという定型の連想から、恋の情景でもあり、そしてそれを捉える冷徹な視線と人情を超越した美。
 詩心がないので解説がないと良さがよく分からないけれど、その上で詠むとやっぱり巧いなあと思う。『冷艶』とはまた上手い言葉で言うとおり。あと、和歌は四季の花鳥風月とその移ろいに託して心情を語るから、風景の美しさと恋の美しさ・はかなさは不可分な組み合わせなんだと思った。

第三章 定家―歌の構造
 他に似るもののいない定家の歌の特徴について。
春の夜の夢の浮橋とだえして嶺にわかるるよこ雲のそら
夢のあわいの曖昧な情景であり、浮→憂きであり、橋→端(恋の終わり)そして「分かれる」と恋を失った悲しみの靄の中であり、そして「嶺にわかるる」は別れの歌を詠う本歌からとってきた言葉である。さらに「浮橋」などの言葉が源氏物語の宇治十帖を示唆する。これらの曖昧なイメージは互いに響きながら全て三十一文字にまとめ上げられ、曖昧でリアリティのないゆえに『美しい』情景がどこまでも広がる。
 本歌取り・かけことば・歌枕をただの言葉遊びに使うのではなく、『言葉』が蓄積してきたイメージを上手く使いながら、新しい情景を取り込むその貪欲さが素晴らしい。心情をストレートに描くのではなく、『歌い手』の感情として風景や数々の言葉と共に詠み上げる、その距離感が良いなあ。素直でなく曲がりくねったがゆえに、複雑でイメージ過剰な感じが。他の歌を見ても、何となくひねくれてる感じはするけれど。

 言葉の孕むイメージを上手く利用して、一つの文章に何重もの意味をもたせるというと、思い出すのは「ユリシーズ」だけど、詩形式と小説だとだいぶ違うからよくわからない。でもずっと昔の日本にもこういうひとが異端だなあと思うと面白い。
 よく分からない教訓臭さとか専門に偏りすぎることもなく、イメージの重ね合わせや言葉の重視、また逸脱を恐れない解釈など、私の望む定家の特長をよく捉えた良い解説書だと思いました。
* 2008/11/11(火) # [ 読書感想文 ] トラックバック:0
現代倫理学入門
現代倫理学入門
加藤尚武 講談社学術文庫

 現代倫理学の論点を身近な問題から説明している本。初心者向けとなっているけどカントとかベンサムとかミルやロールズについて、何考えていたのかおおざっぱに知っていないとわかりにくいかもしれない。各章短くまとまっていて読みやすいが、「答え」がないからといって章の最後がいつも投げっぱなしのような。他人に迷惑をかけなければ何をしてもよいのかとか、思いやりだけで道徳の原則ができるのかとか、その他環境倫理や科学・生命倫理についていろいろ。
 筆者が本書の内容を大雑把にまとめた言葉がこちら。
欠点だらけの功利主義的自由主義にしか倫理学に未来がないという危機を、マルクス主義はすっかりダメだと捨てた上で受け止めなくてはならない。
 そもそも、ある程度社会が落ち着いていて経済的にもそこそこ豊かでないと、民主主義とか自由主義も逆に格差を拡大して不平等な結果を招くしかないらしいのがわかった。
 自由市場に基づく資本主義社会にふさわしいというか、他にこの社会により適切なものがない以上、功利主義的自由主義が共通指針となる。ミルが提唱した功利主義は、私たちは他人に迷惑をかけなければなんだってできるけれど、『倫理』は何をするべきか教えてはくれない。それこそが強制から自由である自由主義の本質である。そして、『善』はそれ自身を定義できない。功利主義に幸福を計る確かな尺度はなく、それゆえにすべてを貨幣に換算して計る市場社会との親和性はバツグンである。
 あと私たちには愚行をする権利もあるけれど、たとえそれに強制的な罰が伴わなくとも、共同体を乱すものとして仲間はずれや侮蔑などの社会的制裁が加えられるおそれがあります。気をつけましょう。
 結果を考慮せずにひたすらひたむきに善を成すことを命じる、カントの市民っぽい倫理も魅力的だけれど、普遍化するには無理がありすぎるし。ロールズによる修正もなかなか難しいし。最小限のルールだけ法で定めて、あとは個人の御勝手に、ってところなんだろうけど、なげやりにするしかないよなあ。むずかしい。
 ところで今はあまりよい意味で使われないことが多いベンサムの「最大多数の最大幸福」だけれど、彼自身はそれがすべての人の幸せに導かれる最良の道なのだと信じていたすごくよい人らしいのが意外。ただ、すごく楽観的過ぎただけで。
* 2008/11/10(月) # [ 読書感想文 ] トラックバック:0 コメント:0
読書メモ
先月は文学愛好月間ということで

「世界の民話」エスキモー、パプワ・ニューギニア諸島
ぎょうせい編纂
 世界の民話シリーズから二冊。シンプルながらパターン化された装幀が可愛らしくて手に取りたくなる。
 たくさんある中から、適当に拾い読み。あまり文明化されずに、自然との敵対関係まで行かず共生関係を築いているところでは、原型がらみの異類婚姻譚が多くていいなあ。猿とか鯨とか鮫とか犬とかよりどりみどり。ヨーロッパや日本とかの話だと、実は人間が呪われていたのですというオチじゃないと悲恋に終わるし。あと男性と動物の場合は動物の人間化が必須なのに、対女性の場合は結構原型でことに及んでいて、そのあたりの違いはどこから来るんだろうと思った。
『大きないも虫を夫にした女』エスキモー
いきなり大きな芋虫に巻き付かれて、嫁になれ!と言われるショッキングな始まりからスタートする話。そのわりにはみんな、しょうがないかあ、という感じでのんびりしている。顔が人間で体が芋虫の息子が生まれたりしてるのに。親も最初はびっくりだけれど、しょうがないかあとあきらめて婿からの贈り物をもらったりしてるし。最後は嫁が疾走する芋虫(夫)に乗って森へと帰ります。
『昆虫』エスキモー
もう一丁虫もの。異類婚じゃないけれど、人間の男より虫の方が親切という話。しかし、文化が違うせいなのか接続詞のつなぎがよく分からない。虫に皮膚をばりばり食べられたら、下から新しい皮が出てきて若々しくなった→なぜなら虫は親切だったからです。え?
『魚に恋した娘』パプワ・ニューギニア諸島
今回のマイベスト。わりとパターンに忠実ですが、なんか女の子と魚のやりとりが可愛かったので。内容だけ抜き出せば、種族の違いにより親に引き裂かれたふたりがやがて死という結末を迎える、というありきたりの純愛ストーリーなのに。「恋、恋はすてき わたしのフワンがいちばんすてき」と少女が歌っていると、恋人の魚が皮から顔を出しました。「調子はどうだい?」「元気よ」「マリア、愛してるよ」「わたしもよ」こんな感じ。

「『ユリシーズ』案内 丸谷才一・誤訳の研究」
北村富治 宝島社
 絶対あるだろうと思っていたらやっぱりあった、丸谷(さん達による)訳に対する指摘本。もちろん読んでみた。
 英語と訳の細かい対比を見ながら、ジョイスが1904年のダブリンに非常に忠実に描写していること、場面場面の細かい情景が一つの街として場所・時間の中で繋がっていること、言葉に蓄積されたイメージを上手く活用しながら過去の作品をパロディ化しつつ何重もの意味をかけていることが、改めてよく分かって面白かった。丸谷訳でも何となく感じ取れるんだけど、やっぱり訳す途中で理解されていなかったり、言葉のニュアンスの中で落ちてしまうものも大きいのかもしれない。
 よく分からないところをそのまま文字通りに訳しちゃった感じは、なんとなく昔の和訳の宿題を思い出して懐かしい気持ちになった。
 とりあえず、色んな研究成果を採り入れた新し(くて安)い版の訳が出るといいなあ。

「消しゴム」
アラン・ロブ=グリエ 世界新文学叢書
 フランスのヌーヴォー・ロマンの草分け的作品らしい。探偵小説のスタイルを採りながら、新しい文学の地平を開いているらしい。しかし読んでいる間中眠かった。が、何となく気になるので他の作品も読んでみよう。「反復」まではなんとか辿り着きたいところ。内容については、以下の作者による解説が一番分かりやすいと思う。
ここで問題になるのは、簡明で、具体的で、本質的な一事件。つまり、一人の男の死である。(中略)本書は正しく拳銃の一発と死との間に流れる二十四時間の、つまり、弾丸が三、四メートル走るのに要した時間の―<余分の>二十四時間の―物語であるからだ。


「宿命の交わる城」
イタロ・カルヴィーノ 河出文庫
 単なる象徴でしかない数十枚のタロットが生成する無限の物語について。

「藤原定家 美の構造」
吉田一 法政大学出版局
百人一首の編纂者にして、新古今和歌集随一の読み手について。書いてみたら長くなったので、後日に回すことに。

あとがき
読むのをあきらめていたレムの「ピクルス物語」がハヤカワ文庫で再版されてる!素晴らしい!!
* 2008/11/09(日) # [ 読書感想文 ] トラックバック:0 コメント:0
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