÷0  ジャンル雑多な読書感想文
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雪白姫
雪白姫
ドナルド・バーセルミ 白水Uブックス

 読書快楽主義者に捧げる一冊。原題は"Snow White"すなわち『白雪姫』。
 あらすじ。そんなのないよ。
 1から2ページぐらいの細かい断章(フラグメンツ)がひたすら続く。たまに意味不明の詩や商品の羅列、この作品に対するアンケートなんかも挟まる。雪白姫はうんざりしてるし、7人の小人は何もわからないし、王子様の役割はあるけどつまらないし。そして、アメリカという国もあるけど、どうなるわけでもない。
「雪白姫」とぼくらはいった。「どうしてきみはぼくらといっしょにいるんだい?ここにさ?この家にさ?」沈黙があった。それから彼女はいった。「きっとそれは、そうね、想像力の欠陥のせいだわ。あたし、もっといいこと想像できないんだもの。」あたし、もっといいこと想像できないんだもの。
 これほど『読め』としか言いようがない作品もめずらしい。文章を目で追っていくことでしか得られない快楽。話の筋もない。情感もない。行間もない。ひたすらに言葉の断片が散らばっているけれど、意味なんてほとんどない。たまに何かの符号のような言葉が出てくるけれど、メタファーのように他の言葉と響き合うことなく、全てがちぐはぐな方向を向いている。どこまでもこの作品の言葉は孤独で何も指し示さず、それゆえに完結している充足感。意味を孕まざるをえない言葉がここまで投げやりに放り出されて散らかり放題なのはなかなか見かけず、全体像の見えないブロック遊びをするようでとても楽しい。読者はやりたい放題だ。
 訳者は柳瀬尚紀だった。最後の解説というか寸劇は、最初読むと意味不明だけれど、本編を見た後に読むと、すごく面白い。
 よく分からないけれど、気持ちよかったので良かった。
「猿なら猿でいいじゃない。変哲もない猿よ。もう気にすることないったら。それだけのことじゃない。」「あなたって、いとも簡単にうっちゃってしまうのね、ジェイン。それ以上の意味があるにちがいありません。あれは異常です。何か意味があるんです。」「そんなことないったら、お母さん。それ以上の意味はないんです。わたしのいった意味以上は。」「きっとそれ以上の意味があるんです、ジェイン。」「ないったら、お母さん、それ以上の意味はないったらないの。あまりいろんなことにいろんなことをよみこむのはおやめになって、お母さん。そのまま放っておけばいいじゃない。それはそれだけのいみなんだから。それで満足しておくのよ、お母さん。」「確かにそれ以上の意味があります。」「ちがうったら、お母さん。」
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* 2008/05/26(月) # [ 読書感想文 ] トラックバック:0 コメント:0
阿修羅ガール
阿修羅ガール
舞城王太郎 新潮社

 語りがよいと聞いて、ずっと読もうと思っていたわりには忘れていたけれど、読んでみた。作者は確か覆面作家だったはず。
 あらすじ。好きでもない相手とうっかりやっちゃった主人公カツラアイコは、相手の顔面に蹴りを入れてホテルから逃げ出し、反省する。しかし翌日、その相手が失踪し、切断された指が彼の自宅に送られてくる。自分が本当に好きだと思い出した金田とその事件を追ううちに、中学生狩りである「アルマゲドン」がはじまるが。
 『今どき』の暴力と乱暴な言葉に溢れているこの世界で、三途の川を挟み、しっかり者のシャスティンや連続殺人鬼のグルグル魔人という人格を通して、自分と他人、生と死の境界を越え、自分を殺したところにあるのは、まさに現代の阿修羅というわけで、最後にきちんと解題もついている親切設計。よくわかんなくたって、本に書いてあるとおり、読んでいて「楽しい」のでよいと思う。
 最初の語り口と展開がとにかく秀逸で読ませる。顔射をなんとか防いで、自尊心をかろうじて守り、プリズンエンジェルを免れたくだりとか。くだけた言葉と主人公の真摯な思考がこの作品の特徴であり、魅力だと思う。
何だっけ?また間違えてんのかな。わたしは黒人の人の顔の区別が上手くつかない。好きな人の区別すらよくついていなかったのだ。しょうがあるまい。
 いやしょうがあるまいじゃあるまい。しっかりしろ。まったく。

 主人公の女の子は欲望にだらしなく怠惰だけれど、内面での語りは非常に自省的で、慎重かつ誠実に自分の意志と行為について考えている。まさに『文学的』少女。けれど、行動や口調はそれとは全く正反対の印象で短慮で乱暴で、いかにもいまどきの『女子高生』。そのギャップが不思議であり、でも実際そんなもんだとも思う。
 普段着の大木ボンド似の桜月淡雪のかっこよさが異常。そりゃ惚れるよ。佐野はやっぱりかわいそうなので、いつか見つけてあげてほしいと思います。
* 2008/05/21(水) # [ 読書感想文 ] トラックバック:0 コメント:0
レストレスドリーム
レストレスドリーム
笙野頼子 河出文庫

 私が私であるために、言葉が織りなす悪夢と戦い続ける物語。力強い虚構によって生み出される、圧倒的な悪夢のリアリティに気圧されつつも、非常に楽しく読むことができました。
 あらすじ。夢を見ているわたしは、桃木跳蛇というキャラクターとして夢の中にいる。ココが夢の世界だと分かっていない人間達はゾンビとなって私に襲いかかってくる。わたしはゾンビとならないために、このスプラッタワールドという夢から脱出するために、「アニマ」や「王子様」など様々なゾンビと戦い続ける。
 つまらない解説をしてしまえば、言葉によって作り出される共同幻想を現実として無批判に受け容れている人たちがゾンビであり、それが夢だと気付いて違和感を感じている人たちが主人公ら「夢見人」である。この本がフェミニズムとして捉えられているのは、「男」と「女」という言葉には特に強力にこの幻想がまとわりついているからであり、また「女性」である作者がその幻想に苦しめられたからこその描写が異彩を放っているからかもしれない。ゾンビになってしまった人たちとの対話はすでに不能で、ひたすら戦い続けるしかないのが苦しい。
 生き残るためには、スプラッタシティの歩調を合わせるための曖昧なリズムに違和感を持ちながら、それをよく聞き分けること。そして、自分のリズムを持ち続けること。跳蛇のシャドウである「アニマ」が「知的で自由な女」という言葉のもと、矛盾した男の理想をかなえようともがき苦しみ、最後には原因も過程も理解できぬままバラバラの肉塊になり果ててしまうのは、やっぱり哀れ。女性が「女」という言葉を使ったとしても、本当に見極めて使わないと、ただの自分を縛る腐った言葉になってしまって、フェミニズムって難しいんだなあと思う。
 ドラクエの攻略本を参考に書いたということで、闘いのシーンはゲーム性に富んでいて面白いし、「馬鹿女」階段での試練のシーンはスリリングで手に汗握るし、映像化したらすごく楽しそうと思うんだけれど、それだけの需要が見込めるかどうかは微妙…。
 とうに意味など失われてしまったような夢見人たちを縛ることしかしない腐りかけた言葉ばかりがはびこる中で、時々出てくる真剣な言葉が非常に印象に残る。最後の闘いで女達の嘆きと生きたいという怨念によって塗り固められた弓矢の宣言や
鉄の銛のように真っ直ぐな言葉だった。こんな風に読めた。―お、も、い、だ、せ、お、ま、え、は、も、も、き、と、び、へ、び
あと、跳蛇と私のラストシーンではじめて、優しい言葉が出てくるのにしんみりとしてしまった。
 10年以上前の作品なのに、現実という悪夢があんまり変わっていなくてびっくりした。夢見人たちの闘いはいつまで続けばいいんだろう。

 今回の引用。
「女は大地(ブタ)で肉体(ウシ)で現実(さる)なのっ」
よく見る文章だけど、本当に何なんでしょうこれ。言葉はよく考えて使わないと、すぐに腐ってしまう典型例だと思う。
* 2008/05/10(土) # [ 読書感想文 ] トラックバック:0 コメント:0
空気頭
田紳有楽・空気頭
藤枝静男 講談社文芸文庫

そのころの私には、書くべき「自分」などどこにもなかったから、書きようがなかったのである。
 私はこれから私の「私小説」を書いてみたいと思う。

という内容から始まる不思議な「私小説」
 第1部は病気がちの妻との闘病生活を描く。
 第2部は愛欲が盛んなのにかかわらず性欲減退に悩まされる「私」が媚薬を精製し、さらに表題の「空気頭」への実験へと進んでいく話。ちなみに、空気頭とは脳に空気を入れて、ふわふわとした心持ちになること。もちろん、フィクションである。
 第3部は日記調の話。地味なままラスト。

 作者は医者なので、第1部と第2部に医学的用語がそこかしこに出てくるのが、奇妙な味わいで面白い。
 基本的に、一部は普通の私小説という感じで、一応現実に即して出来事が語られる。墓を一生懸命に磨いていたら妻に墓に入るのを断られるシーンと、「夫婦は二世か」と呟くシーンの対比が上手い。
 そして第2部の飛躍ぶりが読みどころ。下ネタ満載の媚薬精製法が、実は主人公の家系それ自体の悩みにもつながり、想像力というか妄想によって膨れ上がった「私」が引き起こす奇妙なリアリティ。さらに性欲という生まれつきの枷を乗り越えるための空気頭実験によって、「私」は私を離れて、上から「私」を見つめて解放されるようになる。
 第3部は地味だけれど、この小説を読む手がかりになるような気がした。ベトナム戦争のルポ映画で描かれる一人の人間の多面性。そして、誰にでもそれがあり得るという共通性。また、「人格」という個性は、生得的な気質に対する抑圧の結果にすぎないのではないかという疑い。
 私「小説」の「私」って何なんだろうなあ、とふわふわと考えたくなるような小説でした。
 一番印象に残ったのは、妻の病気のことを冷静に見つめながらも、それを医学の力によって二人で乗り越えようと言う文章が書かれたすぐ後の段落。
今日は妻の死んだときのことを楽しく空想した。
実は、もう第1部から「私」は破綻しかかっているという罠。
* 2008/05/02(金) # [ 読書感想文 ] トラックバック:0 コメント:0
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