÷0  ジャンル雑多な読書感想文
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世界は何回も消滅する
世界は何回も消滅する
アンソロジー 編・訳青山南 筑摩書房

 題名が素敵で借りてきてしまったアンソロジー。70年代から80年代にかけてのアメリカの短編小説が収められている。全体としては、スラップスティックだったり、わけが分からなかったり、たまにセンチメンタルだったり。エッセイもいくつか。ミラン・クンデラとかレイモンド・カーヴァーあたりまではなんとか知っているけれど、ほとんど知らない人ばかりでした。
 時代の背景とか、そのころのアメリカの状況とかはよく知らないのだが、色々と絶望的でろくでもないのだけれど、どこか底抜けに明るいタフな雰囲気が題名の通り全編に醸し出されていて、雰囲気としては嫌いじゃないと思う。あまり好みの作風でもないのだが。
 以下、気になった作品の雑感。
 「世界の消滅について」ミラン・クンデラとの対談
まだソ連崩壊前。いわゆる中欧は日本にとってマイナーだけれど、ヨーロッパ全体で見てみるとその役割は大きいのではないかなという話と、文学について。
 「まま娘クラブ」マックス・アップル
再婚した妻の連れ子が砲丸投げにはまる。繊細な完成の持ち主の主人公とばりばりのキャリアウーマンの妻、そして肉体を屈強に改造していく娘が、それぞれずれあいながらもなんとか家族をしていく話。
 「秘密の我が家」バリー・ハナ
双子小説。謎めいた美人。
 「死者を生かす物語」ティム・オブライエン
この短編集のなかで一番良かった。ベトナム戦争でのおびただしい死者、子どもの頃に愛した女の子、そして過去の自分、今はもうすでにいなくなってしまった者たちを、生きている者はどうすればよいのか。ある者は死を笑い軽んじることで、やり過ごそうとする。そして作者は物語を書くことで自分を救おうとする。書かれた死者、そして過去の自分は、あの存在していた彼らではないが、それゆえに永遠で、リアルである。
 「コーシャー・ボーイ」マックス・アップル
ユダヤ人の食習慣に関してのエッセイ。豚がだめなのは知っていたけれど、豚を切った包丁で切った他の肉もだめだとか、ミルクと牛肉を一緒に食べるととんでもないとか、他様々なよくわからない食習慣で、外で食べるのは大変だという苦労話。何でそんな習慣を守っているのかという作者の弁明もあって、理解はできなくとも、とりあえず知ってみるという感じで。他人の苦労話は、場外の立場で読んでいると面白い。
 「発射寸前」レナード・マイケルズ
この短編集の中で、一番素敵な脱力シーンがあった。隣の家までかけてやれ。高まる緊張感と押し寄せる人間の本能、そして訪れる開放感と、まったくどうでもよくなってしまった結末。

 作品に加えて、訳者の軽妙な解説も良かった。さらに、阿部真理子という人による、やけくそのようで洗練された勢いのある挿絵が随所にちりばめられているのだが、作品の雰囲気とマッチして、この短編集を寄り面白いものに仕上げている。              
 この短編集の題名の英語訳は、”World vanishes again and again” 訳者あとがきの通り、そうだよ、世界は何回も消滅するのだよ、幻滅などくそ食らえ。という気分になれるなかなか味のある短編集でした。
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* 2007/10/31(水) # [ 読書感想文 ] トラックバック:0 コメント:0
戦うハプスブルク家
戦うハプスブルク家 近代の序章としての三十年戦争
菊池良生 講談社新書

 一応ヨーロッパ史で扱うし、何やら国家の形成に関わる大事な戦争だとは知っているのだが、実際のところよくわからない30年戦争について扱っているので読んでみた。
 結論として、非常に面白かった。
 ただ、17世紀前半のヨーロッパについて、多少の前提となる知識を持っていた方がよいと思う。地名や固有名詞が特に断りもなく多用されるので。登場人物の名前だと割り切ってしまえば、それはそれでよいと思うが。久しぶりに地図帳を持ち出して、眺めてみるのもまた一興。
 あらすじというか、概要。中世は終り、宗教改革の嵐が吹き荒れ止まぬ頃。現れるは、唯一の君主による秩序のもとに治めんとする普遍主義。ヨーロッパの天下統一を目指す、神聖でもローマ的でも帝国でもない神聖ローマ帝国の王であり、スペインを領土とするハプスブルク家。その野望に対してヨーロッパの強国フランスは危機感を抱く。そして、ドイツ内の諸候もまた、ドイツ憲法に背きひとり強大化するハプスブルク家に、時に対立し、時にすり寄る。
 入り乱れる陰謀。神も背を向く宗教対立。最強にして最後の傭兵隊長ウァレンシュタインのつかの間の夢とその死。北方の雄スウェーデン王のグスタフ・アドルフの破竹の快進撃。食えないフランスの宰相リシュリューの各国をも巻き込む卓越した外交手腕。混乱する世界で覇権を握るのは誰なのか。諸諸の権力を統一してできあがろうとする国家形成の流れは戦争にどのような影響を及ぼすのか。
 30年もの破壊と混乱の果てに出来上がる新たな世界秩序。しかし、それはつかの間の平和によるより大きな世界戦争への序章へと繋がっていくのだった。to be continued.

 という下手なスペクタル映画よりも、よっぽど手に汗握る展開が待っている30年戦争。
 国家という近代システムの樹立や宗教と政治の関わりかたといった社会システム的視点、ハプスブルク家やフランス王朝や各ドイツ選帝候といった各家系の思惑による視点、キリスト教の教えを守り抜こうとする貴族や野望持つ傭兵隊長や時代にあえなく流される皇帝など個人史的視点、そのどれから見ても、ダイナミックな動きが感じられて面白い。
 戦争が続くうちに、その戦争による変化でそれまでのやり方が通用しなくなってしまったり、そもそも戦争の目的自体が見失われてしまったり、最後には増えすぎた兵士を養うためとここまでやった以上途中で引き上げるわけにはいかないという面目が両国を動かすようになる、といった当事者の意思を外れて自律的に動きだす歴史の流れがおかしい。当人たちにとっては笑いごとではないんだろうが、無責任な極東の見物人からすれば、派手で大規模で少し勉強になるイベントのような気がする。
 これ以降確立される国家という組織がひきおこす第1次大戦までの流れや、序序に芽生える絶対主義の中にきざしている革命の息吹など、次への歴史的大事件へと繋がっているのが分かり、今まで知っていた他の時代もより深く知ることができるきっかけになると思う。同様にこの30年戦争も、発端となったベーメン地方の反乱という直接的原因の底流にはそれまでのドイツの歴史、宗教的価値観、などなど長いヨーロッパの歴史を包含する一つの事件なのである。というわけで、ローマ史から中世・ルネサンス・宗教改革ともう一度勉強し直してみようかな、という気になった。
* 2007/10/24(水) # [ 読書感想文 ] トラックバック:0 コメント:0
変身
変身
フランツ・カフカ 新潮文庫

 有名な不条理文学。暗くて鬱々としている話なのかと思っていたが、意外にあっさりとしていて面白かった。
 あらすじ。ザムザはある朝起きてみると、自分が虫になっていることに気が付く。保険外交員として働いているザムザは出勤しようとするが、虫になってしまったためうまくいかない。やがて家族や雇い主に虫になってしまったことがばれてしまい、色々な騒ぎが起きる。
 あらすじだけ書くと、何となくコントみたいな感じがしないでもない。
 『虫』が何の象徴なのかは置いておき、『虫』となってしまったザムザの有り様や、家族その他周辺の人々の関わり方で見ると、読みやすい。ザムザ自身は未だ普通のつもりなのだが、外見が『虫』となってしまったために、周りからは誰もそれまでの人間として扱ってもらえず、恐ろしく気持ちの悪い何かとして遇される。家族はかつてのザムザの面影を追いながら、全く違うものになってしまったザムザをただ忌避する。ザムザが何かを伝えようとしても、他の者は『虫』が意思を持つはずがないとして、そもそもコミュニケーションをとろうとしない。そんな風に扱われている内に、ザムザも『虫』としての自分に馴染むようになっていく。ザムザを全くおそれないのは家政婦だけだが、それは彼女がもとから彼を人間として取り上げず、ただ『虫』と接しているからだけである。
 何より報われないのは、それまでザムザが家族のために頑張って働いていたことが、家族にとって最善ではなかったかもしれなかったことだと思う。ザムザが頑張るゆえに、家族はそれに甘え、よりかかる。ザムザが『虫』になるという窮地に陥ったことで、家族はむしろ自立を果たしていく。そして妹の留学のための計画は最後まで伝わらず、『虫』になった今となっては、その思いもただの悪意として解釈されてしまう。
 痴呆症(今は認知症か?)とその家族の介護のような問題にも通じるような気がした。ある日自分でも分からないうちに、今までの自分とは違うものになってしまう。変わってしまった側にも、理性というか人格が普通にあり、それまでの暮らしを続けていきたいのに、全くコミュニケーションがとれない中で、ただただ疎外されていく『虫』として扱われる。家族の側の対応もひどいように見えるけれど、介護する側の視点からすると、全く分からないわけでもないし。最後の希望あるラストが、嫌なくらいリアルで哀しい。というわけで、今の時代でも、もっと読まれたらよい本だと思う。
柔らかい埃にすっかり覆いかくされた背中の腐った林檎やその周囲の炎症部の存在もすでにほとんどそれとは感ぜられなかった。感動と愛情とをもって家の人たちのことを思いかえす。自分が消えてなくならなければならないということにたいする彼自身の意見は、妹の似たような意見よりもひょっとするともっともっと強いものだったのだ。こういう空虚な、そして安らかな瞑想状態のうちにある彼の耳に、教会の塔から朝の三時を打つ時計の音が聞えてきた。窓の外が一帯に薄明るくなりはじめたのもまだぼんやりとわかっていたが、ふと首がひとりでにがくんと下へさがった。そして鼻孔からは最後の息がかすかに漏れ流れた。
* 2007/10/17(水) # [ 読書感想文 ] トラックバック:0 コメント:0
ポルノグラフィア
ポルノグラフィア
ヴィトルド・ゴンブロヴィッチ 河出書房新社

 題名はあれだが、性描写などほとんどないという罠。ゴンブロヴィチさんらしく、ひねくれて曲がりくねった文体が面白かった。
 あらすじ。私(ゴンブロヴィチ)は、ヘニアとカロルという少年と少女を見たときに、彼らが結びつけられているのを確信する。だが、ヘニアには婚約者がおり、カロルは年上の女が好みである。同行していたフレデリクという男もまた、彼ら二人の結びつきを確信しているようである。ヘニアとカロルがたまたま同じミミズを踏みつけたことなどを見て、主人公はますます彼らの結びつきを確かめ、<若さ>を崇拝する。そうこうしているうちに、ヘニアの婚約者の母が殺されるという事件が起きるのだが。
 ひたすらに出来事を見つめ、それを自分の思うままに解釈していくゴンブロヴィチさんは、「読者」の姿に通じているのかとも思える。だが、全部ゴンブロヴィチさんの一人芝居だと思っていたら、いつの間にかその妄想が他者を巻き込みながら、だんだんと思わぬ方向へ話を動かしていくのが奇妙。登場人物たちが自分の役割を演じることに自覚的になっていくのが『計画犯罪』と同じだが、それをさらにこんがらがるようにして、主人公の妄想とたくみに組み合わさっていく流れが面白い。基本的のこの作者の作品は、一人称の思いこみの暴走なんだけれど、それだけで終わらないような何かがあるような気もしなくもない。
 一番変態的なのは作者(というか主人公とフレデリク)で、周りはそれを投影するためのオブジェであるのも、『バカカイ』と同じテーマ。色々頭で考えすぎていて、人工的この上ない不自然な状況を楽しむ本。
 今回の引用はあとがきから。出典は作者の日記。
(私の作中人物は)永遠の役者、だが自然な役者だ、なぜなら人工性は彼のもって生まれたものだから。その人工性は彼の人間性の特徴となる―人間であることは役者たることを意味する―人間たることは、人間のふりをすることを意味する―人間であるとは、真底、人間にはなり切れぬまま人間のように”振る舞う”ことだ―人間であるとは人間性を暗誦することなのだ。

(以下、少しネタバレ)

 この話に出てくる大人たちの末路も対照的。主人公と、フレデリクと、ヘニアの婚約者のヴァツワフ、さらに革命軍の戦士だったシェミャン。フレデリクは<若さ>を持つユゼクを殺し、発狂することで<若さ>の側に立つ。ヴァツワフは大人であるシェミャンを殺すことで<若さ>の愚かさを超越しようとしながら、ナイフによって<若さ>に殺されることで<若さ>と繋がる。そして、シェミャンはすでに若さを失い、臆病で醜くなってしまったがゆえに<若さ>に殺されなければならない。それらの合間を危うく綱渡りするようにしながら、主人公は語り続けてくれる。このたち位置はかなり上手く、何だかずるい感じもする。主人公とフレデリクの妄想劇場に巻き込まれて自分も参加するうちに、大変なことになってしまったヴァツワフが特に面白い。
* 2007/10/11(木) # [ 読書感想文 ] トラックバック:0 コメント:0
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