÷0  ジャンル雑多な読書感想文
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蜘蛛女のキス
蜘蛛女のキス
マヌエル・プイグ 集英社文庫

 ラテンアメリカでガルシア=マルケスに次いで有名な作家プイグの代表作。
 何か書くと、即ネタバレになってしまうので、読んでない人にはとにかく読めとしか言いようがない。おそらく面白いだろうことは保証できるし、何も知らない状態で読んだ方が楽しめる。
 いきなり始まるワンシーンから、台詞の積み重ねによって徐々に明らかになる登場人物とその背景。アルゼンチンの不穏な政情が、二人の対話劇に緊張感を加え、先が気になる展開。
作者は、元は映画監督志望だったとのこと。

(以下ラストまでネタバレ)
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* 2007/05/25(金) # [ 読書感想文 ] トラックバック:0 コメント:0
異邦人
異邦人
アルベール・カミュ 新潮文庫

 カフカの「変身」と双璧を成す不条理文学の有名作。
 あらすじ。ムルソーは母親の通夜に出かけ、その翌日に女友達と海水浴に出かけ、関係を結ぶ。喪中も働いたり、隣人の相談に乗ったり、普通の暮らしを続けていた。ある日曜日、ムルソーは太陽の焼け付くような光に耐えかねて、隣人といざこざを起こしていたアラブ人をピストルで射殺する。ムルソーは逮捕され、裁判で母親の死に際して涙を流さなかったことを糾弾される。そして、陪審員によってムルソーに「死刑」の判決が下される。
 端正で感情の起伏を表さないことで、太陽の光やその空気がより一層迫ってくるような描写が冴えている。ほとんど全てを「どうでもいいことだ」で片づけ、ただ率直に己の見たものを描写し、どこまでも自分にとっての虚偽を排除し続ける主人公の造形も面白かった。裁判の場面で、当の被害者のアラビア人のことはほとんど出てこないで、もっぱらムルソーの生活態度(しかも常識的に見て好ましくない部分ばかり)ばかりを責めるところが愉快。主人公は積極的に周りに危険をもたらす訳ではないから、これ以外に責めようがないといえばそれまでだが。裁判あたりから、死刑判決が出て、死を恐れながらラストにたどり着くまでが非常にスリリング。
 以下、適当な覚え書き
 裁判官の言葉も、弁護士の言葉も上滑りで、ムルソーについて何ら語り得ないのは、彼が承認していない『社会』によって彼を解釈した言葉だからであろう。ママンへの愛情は、ムルソーにとって母親の年齢やその正確な死亡日時を知ること、通夜に涙を見せることによって測れるものではないが、裁判官その他大勢の他人にとっては、まさにその態度をとることこそが『愛情』である。
 信仰や母への愛情を「どうでもいいことだ」と肯定も否認もしないムルソーの態度は、否定すること以上に、『社会』に対してより危険なものである。否定は、肯定の裏返しであり、それは一つの『社会』への関わり方である。『社会』が拠り所とし、無意識の前提とするキリスト教信仰(ヨーロッパの場合)や家族愛を、当然のこととして認めようとしないムルソーは、『社会』にとってあってはならない異分子である。そのような異分子を排除してこそ成り立つのが『社会』である以上、ムルソーに対する『社会』の態度は「死刑」という形で表現されることとなるわけである。
 思っていたより、『不条理』という感じがしなかったのは、もちろんあらすじをわたしが知っていることもあるし、すでにその後書かれた文学自体が『カミュ以後』という前提だからだろうか?

 とやかく言うよりも、全部で130ページ弱なので、実際読んでしまった方が早い作品ではある。久しぶりに少し長くなるが、最後の文章から引用。
何人も、何人といえども、ママンのことを泣く権利はない。そして、私もまた、全く生き返ったような思いがしている。あの大きな憤怒が、私の罪を洗い清め、希望をすべて空にしてしまったかのように、このしるしと星々に満ちた夜を前にして、私ははじめて、世界の優しい無関心に、心をひらいた。これほど世界を自分に近いものと感じ、自分の兄弟のように感じると、私は、自分が幸福だったし、今もなお幸福であることを悟った。すべてが終わって、わたしがより孤独でないことを感じるために、この私に残された望みといっては、私の処刑の日に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びをあげて、私を迎えることだった。
* 2007/05/22(火) # [ 読書感想文 ] トラックバック:0 コメント:0
木のぼり男爵
木のぼり男爵
イタロ・カルヴィーノ 白水Uブックス

 イタリアの作家イタロ・カルヴィーノ『われわれの祖先』シリーズ2作目。カルヴィーノ作品はこれが初めてだが、案外読みやすかった。次は「不在の騎士」を読む予定。
 あらすじ。時は18世紀。イタリアの男爵家の長男コジモ・ヴィオバスコ・ディ・ロンドーは姉の作った悪意のこもるカタツムリ料理から逃れ、木へ登る。それ以来、彼はひとときも木から降りることなく生活する。爵位を継ぎ、恋をし、冒険や決闘や革命も全て木の上で行われるコジモの生涯を、弟であるビアージョの口から語った物語。
 突飛な設定の割には、思っていたよりも普通の話だった。それは、コジモが木の上で生活しながらも、地上の人々から離れることなく、双方で関わり合いながら暮らしているからである。地上から離れることで手に入れられる視点と、樹上であるからこそ限られる世界のバランスを、いかにして保っていくかというのがテーマの一つであるけれど、難しいことは抜きにしても読んでいて楽しい寓話。樹上の生活をいかにして快適にするか、樹上から人々に働きかけるにはどうしたらいいのか、というコジモの工夫はそれだけで楽しい。一応、創作論的には、語り手と物語の内容が距離を置く作りになっているけれど、弟がほとんど無個性なので、それが効果的なのかどうかは微妙。
 イタリアの話だが、登場人物やフランス革命などの事件を介して、他のヨーロッパ諸国とつながっており、小説自体にもフランス語やドイツ語などがたびたび出てくる。やっぱりヨーロッパ諸国は地続きでつながっているのだなと、何となく思った。
 様々なエピソードと登場人物の絡め方が、その人物の個性を引き出す形でできていて、そう思うと、上手くできている話だと思う。登場人物は、みな一癖あって面白いのだが、個人的には主人公の母親である将軍令嬢(ジェネラレッサ)が一押し。ドイツから嫁いできた彼女は、イタリアの地でもドイツ語をたびたび口にし、行われることのない軍事作戦をいつも夢想している。軍人の娘であることを誇りにし、周りを理解せず、理解されない彼女は、軍事にかまけているからこそ、誰よりも早くコジモの行動を受け容れる。木の上にいる息子を当然のように側に置く、彼女の臨終の場面はよい。というか、この物語の登場人物の死に際は全部素敵だ。
* 2007/05/20(日) # [ 読書感想文 ] トラックバック:0 コメント:0
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