÷0  ジャンル雑多な読書感想文
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しあわせの理由
しあわせの理由
グレッグ・イーガン ハヤカワ文庫

 ハードSF作家として有名なイーガンの短編集。ハードと言っても、高校で科学を学んだことがあれば、8割方は理解できると思う。さすがに、『ボーダー・ガード』の量子サッカーはちんぷんかんぷんだったが。量子力学は鬼門。作品自体は、問題提起とそれを生かすSF的手法が面白かった。以下、特に気に入ったもののあらすじと雑感。
『闇の中へ』
世界中で突如現れた、1分ごとに90%の確立で存在し続けるワームホールの中から、人々を助ける役目を負うレスキューボランティアの話。決して後ろには進むことができず、また、過去の結果とは独立に決められるワームホールの存在確立など、特殊な世界を描くのと同時に、それは紛れもなく現実世界の法則の写しでもあって、不安感の残る結末と共に楽しめる。
『移相夢』
欠陥の多い人の体から、ロボットの体へと意識を移し替えるときに発生する「移相夢」の話。現実も幻覚もなく死さえ失われた、出口の見えない入れ子の中で味わうめくるめく感覚が好みだった。
『しあわせの理由』
二〇〇四年の九月、一二歳の誕生日を過ぎてまもなく、ぼくはほぼ四六時中、しあわせな気分でいるようになった。
書き出しが素敵な表題作。脳にできた腫瘍によって、ロイエンケファリンという「しあわせ」を感じる物質が常時放出されるようになった少年の話。安易な回答に逃げずに、半ば実験台となり、傷つきながら、「しあわせ」の理由を探し求めている主人公がよい。しあわせ至上主義に対する疑問として面白い作品。
ぼくの感じているしあわせがぼくにとってなんの意味もないものだという事実を―かつて腫瘍にいやと言うほど思い知らされた以上に―うけいれることにほかならなかった。しあわせのない人生は耐え難いが、ぼくにとってしあわせそのものは生きる目標とするに値しない。

 ハードSFとは言っても、意外に現実世界との隔絶感は薄い。というのも、作品の主題が現実世界で起きている問題の延長上にあるからである。『適切な愛』の延命治療と子宮利用は、現在の延命と生殖医療の問題を突き詰めていけば、必ず生じる疑問をかたちにしたものだし、『しあわせの理由』は脳科学が発達し、感情と物質の関係が解明されていく過程で問題になる倫理がテーマになっている。かなりしっかり書き込まれている(らしい)科学についての描写は、虚構と現実を繋ぐための道具となっている。もちろん、リアリティを担保するための道具立てそれ自体もひっそり楽しめる。
 読後感がどの作品もかなり似ているのは、どれだけ科学技術の進歩を手に入れても、それだけで人類が極端に幸せになることも、不幸になるようなこともないからかもしれない。
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* 2006/11/24(金) # [ 読書感想文 ] トラックバック:0 コメント:0
ユリシーズⅢ
ユリシーズⅢ
ジェイムズ・ジョイス 集英社文庫

 さらに難解になって、よく分からなくなってきた第3巻。とりあえず、最後まで読み通すのを目標として。
 あらすじ。
『太陽神の牛』
ブルームは近所のミセス・ピュアフォイの見舞いに産婦人科病院に立ち寄る。談話室で、スティーブンを含む青年たちが、猥談を繰り広げている。男子出産の知らせを聞いて若者たちは酒場へと繰り出し、スティーブンを気にかけたブルームはその後を追う。午後10時。
『キルケ』
スティーブンを見失ったブルームは電車にひかれそうになる。幻覚に囚われながら娼家に入ったブルームは、スティーブンと出くわし、よったスティーブンはステッキでシャンデリアを壊す。さらにイギリスの兵隊と喧嘩沙汰になったスティーブンを何とか仲裁し、介抱する。午後12時。

 例のごとくスティーブンとその仲間たちの談話は読んでいてもほとんど理解できませんでした。『太陽神の午後』は、生まれつつある子供と一緒に文体も進化していく構成になっていて、古事記の文体から、源氏物語・平家物語や井原西鶴や滝沢馬琴、さらに明治の夏目漱石や菊池寛、谷崎潤一郎(ちゃんと翻訳前の文体と対応している)の文体、さらに現代の俗語まみれの崩壊した文体までどんどんと変わっていくのが面白いはずなのだが、文体以前にないようがとれなかったので、いまいち楽しめなかった。残念。
 『キルケ』は産む性に対して、産まぬ性であるところの娼婦との話。戯曲形式で、今度は読みやすいのだが、どんどん訳の分からない幻想に取り囲まれていって、読んでいて混乱する。ブルームが突然女になっていたり(しかもマゾ)、死んだ父が猥談を繰り広げたり。それでも、今日一日の今まで起こったことがさりげなく組み込まれていて、ところどころ忍び笑いが洩れる。「罪の甘い歓び」とか。だいぶ夢が醒めてきたところで、最後にスティーブンと重なって、子羊のモチーフと共に姿を現すルーディ(成語10日で死んでしまったブルームの子供)が良かった。

今回の引用。『太陽神の午後』から。石川淳の文体で。
外の空気は、雨露のしめり、天井からの生命のエキスにみちて、星の輝く大空の下、ダブリンの石畳の上に光ってゐる。神の大気、万物の父の大気、輝きながらあたりいちめんにみちる恵み深い大気。それを胸深く吸ひこめ。神かけていふが、シオダーピュアフォイよ、お前はすばらしい勲をたてた、しかもじつに見事に!お前こそはまさしく、この、無駄口の叩きづめみたいな、何でもはいっている、ごたまぜ極まる年代記のなかで、いちばん非凡な先祖様。驚くべきことだ!
全くです。
* 2006/11/18(土) # [ 読書感想文 ] トラックバック:0 コメント:0
差異の政治学
差異の政治学
上野千鶴子 岩波書店

 「ユリシーズ」で小説疲れしたので、社会科学系の本を読んでみた。小説と違って、言いたいことをずばっとさっぱり書いてくれるので、読んでいて楽に思える。
 作者はフェミニズム・ジェンダー論で有名な教授。名前くらいは聞いたことある人も多いんじゃないだろうか。基本書らしいので、幅広い分野について、作者の基礎的な考えが分かるが、その分論点の掘り下げが若干甘い気がした。中途半端で終わらせてしまうには、惜しいものが多いのでなおさら。けれど、目から鱗的な視点も多く、読んで面白かったのでそれでよし。
 以下、面白かった章だけまとめと雑感。
○差異の政治学
今ではすっかりメジャーになった感のある「ジェンダー」という言葉について解説している章。言葉にはそれ自体に歴史と文化が刷り込まれており、中立的な言葉を使ったつもりでも、それは真に中立的であるとは限らない。判然一体として曖昧な性のどこに境界を設け差異化するか、その動きが政治である。
○「労働」概念のジェンダー化
国の経済規模を表す国際基準である「国民経済生産」で、なぜ家事労働は無価値なものとして考えられるのか、という問題について。専業主婦は読むべし。確かに、お手伝いさんを雇うとその労働は収入として含まれるのに、主婦がやるとタダというのは不思議。夫婦間での経済力の偏在を「愛」という全ての価値を転倒させうる言葉で封じるのは、上手くできたシステムだと思ってみたり。結局、主婦の行う家事労働は経済活動の「前提」であって、それ自体は経済活動として考えられていないと言うことなのだろうけれど、これからはそんなことは言っていられなくなりそう。
○「家族」の世紀
「核家族」を家族の前提として考えてきた近代イデオロギーについて。近代的核家族(夫婦と未婚の子供)を標準とする歴史は意外と浅く、母系社会や大家族集団を「野蛮」として、核家族中心の「家族史」を研究することで、その形態を普遍化してきた。いったん成立した家族観はそれを「人倫の基礎」として相対化することを禁じる。
○男性学のススメ
女性にこうあるべきだと定めると言うことは、逆に男性もこうあるべきだと同時に定められることである。ということで、そういうのに疑問を持ったり疲れたりした男性からの「男性学」の発生について。
○複合差別論
被差別者は同時に、他のマイノリティに対して、さらには同じマイノリティ同士で差別者となることもあり得る。階級・性別・性的思考・障害者など絡み合うマイノリティのなかで、差別は複合的なものとなり、単純に「全ての差別からの解放」を掲げるような普遍主義は逆に危険である。
○<わたし>のメタ社会学
社会学を行う者についての心得。ニュースなんかでよく見る社会学者の言葉を吟味する上で、メディアリテラシーとしても大切な点もいくつか。

 通して読んでみると、この文脈での「フェミニズム」とは、もちろん女性の権利拡張思想を含むけれど、もっと広く、「近代思想」がmarginalize(上手い言葉が浮かばない)してきた者たち(マイノリティ)から、その抑圧を前提にしてきた近代を検証し、改善する試みであるように思えた。
 次は著者が以前に書いた、さらに過激でセンセーショナルだという噂の「スカートの中の劇場」を読む予定。やたらと気になる題名が巧い。
* 2006/11/14(火) # [ 読書感想文 ] トラックバック:1 コメント:0
ユリシーズⅡ
ユリシーズⅡ
ジェイムズ・ジョイス 集英社文庫

 相変わらずスティーブン中心の章は何を考えているのか不明だけれど、だんだん慣れてきて、楽しくなってきた2作目。
 あらすじ。図書館で文学仲間と『ハムレット論』を闘わせたスティーブン。一方ブルームは昼食を取った後、酒場で「市民」と口論した後、浜辺で少女を見ている。午後9時。 
 意味を引き寄せる言葉の習性が非常に巧く使われている印象。一つの言葉に二重、またはそれ以上の意味が込められ、些細などうでもよいはずの言葉が、文章としてあらわされることによって、全て読者へのサインと変わっていく。過去の文学作品や、文化的常識、日常での文脈を取り込むことによって、テクストの奥行きが増していく。読むものであり、聞くものでもある「言葉」の機能を視覚的・聴覚的に働きかけてフルに利用して、読んでいるだけでも楽しい小説に仕上がっている。
 たとえば、妻が寝取られようとしているブルームには、さらに妻であるペネロペイアが求婚者に迫られているユリシーズ・イギリスという巨大な王国にさらされているアイルランドのことがさりげなく込められている。そして、これだけの意味を持たせる(ように見せる)ことによって、平凡なはずの一日が非常に奥深くなっていく。
 というわけで、小説に使われる言葉によって、遊びに遊んでいる作品。『ユリシーズ』の謎解きにはまってしまう人が多いというのも、何となく分かる。

以下、面白かった章の覚え書き
『さまよう岩々』
 19もの人物の断片が組み合わさって構成されている章。それぞれがちらちらと関連しあいながら、最後の断章の総督の馬車がエピソードを貫いている。
『セイレン』
音楽が鳴り響く章またはショウ。
 「カエルの歌」のように、追いかけっこのようなフーガで展開される文体。始まる序曲(overture)。猥雑な雰囲気≪sonnez la cloche!≫の中で、ジングルと鳴る馬車の車輪、あるいはきしむベッドの音。男たちは歌を歌い、女たちははしゃぐ。底を流れるモリーの不倫への不安≪罪の甘い歓び≫。思い出したように主題の旋律(文章)が顔を出し、何食わぬ顔をして音楽的単語が紛れている。おまけに金管楽器ならぬ腸管楽器であるおならの音でこの章は締めくくられる。そして最後に
≪done≫
『キュクロプス』
≪俺≫の一人称といきなり割り込んでくるパロディ文体から構成される章。虚実入り混ざったでたらめ名詞がずらずらと並んでいたりして面白い。酒を飲むしがない市民たちが、『ホメロスのオデュッセイア』風に語られると、いきなり神にも似た英雄になってしまったりと、読んでいると忙しい。
一般的には、借金の取り立て屋と解釈されている語り手である『俺』を、柳瀬尚紀は実はだと唱えている。どちらが正しいかはよく分からないが、なんだか≪俺≫に愛着を感じてくる。
『ナウシカア』
少女小説チックな文体で始まり、恋愛妄想が繰り広げられる。その主人公であるガーティ・マクダウェルがやたらと美化されているのに、友達である少女たちが容赦なくこき下ろされていて恐ろしい。
あらすじは、ガーティが海辺の岩にもたれて座っているブルームを見て、彼を運命の人だと思いこみ、妄想を繰り広げたあげく、打ちあがる花火に紛れて彼に下着を見せる。ブルームはそれを見て自慰を行い(ガーティはそれを知っている)、女性たちについてつらつらと考える。そして最後に9時の鳩時計が≪クックー≫(寝取られ亭主の意も)と鳴る。情景を想像すると、かなりシュールで可笑しい。

 ジョイスになじめるかどうか分からない人は、清水義範の「私は作中の人物である」に収められている短編『船が州を上へ行く』を読んでみるのがお勧め。「ユリシーズ」よりジョイス節がさらに炸裂している「フィネガンズ・ウェイク」(柳瀬訳)を、日本人に分かりやすいように猿蟹物語をベースとして換骨奪胎した作品。これが面白ければ、きっとユリシーズも面白いと思えるはず(だと思う)

今回の抜粋
『ナウシカア』の章から(しかし、ユリシーズに抜粋はあまり適していない気もする)
 ミスタ・ブルームは足もとの深い砂地を棒切れで静かにかきまわした。彼女にメッセージを書け。消えずに残るかも。何を?
 I..
 朝になれば誰かのべた足がぺたりと踏みつける。むだだよ。波に洗われて消える。潮はここまで来る。彼女の足もとに水溜まりがあったからな。(中略)
 AM. A.
 書ききれない。よそう。
 ミスタブルームは靴でゆっくりと文字を消した。砂ってどうしようもない。何も生えないし。みんな消えるし。大きな船はここまではこない。
* 2006/11/09(木) # [ 読書感想文 ] トラックバック:0 コメント:0
日本古代文学入門
日本古代文学入門
三浦佑之 幻冬舎

 オオサンショウウオと少女の裸体がまぶしい表紙が目印。大学での講義をまとめた入門書。古文の知識がなくても読めるので、初心者でも気軽に読める。扱う範囲は、平安時代以前で、古事記・日本書紀からその他マイナーな古代文学まで。
 「異界を旅する」「女と男/男と女」「エロ・グロ・ナンセンス」「スクープされた事件」と主に4つの章から成り、古事記などの資料を現代語訳で紹介した後(たまに原文付き)、作者が現代の見解を交えつつ解説してくれる。いろんな小話が少しずつ紹介されているので、非常に取っつきやすい。純愛あり、獣姦あり、下ネタあり、謀略ありと、何でもそろっている古代文学の底力を見よ、という感じで。古代はとにかく資料が少ないので、実際にその出来事があったのか、という視点ではなく、人々の間でなぜ・どのように伝えられ広がっていったのか、という視点がとられている。
 全体を読んだ感想としては、作者のメッセージ通り、千年や二千年くらいで人間変わるわけはない、という当たり前の結論なのでした。昔から相変わらず、いわゆる『心の闇』によって引き起こされる残虐事件はあり、天皇の跡継ぎ問題があり、人々は道鏡と称徳天皇などの皇室スキャンダルにわくわくして、下ネタ大好きだったりする。古代人だから素朴というわけでもなく、黄泉や蓬莱山など異界の存在を、半分は信じていないのだが、どこかで信じているような登場人物もいるし、マザコンのあまり母親を刺してしまう青年もいる。
 特に奈良時代は、律令制の確立によって天皇を中心とする男系社会への転換、物々交換から通貨の造幣による経済体制の変革など政治・経済・社会が大きく変化している。その中で、男系社会には当然伴う女性への不信感(生まれた子は本当に自分の子なのか)や、拝金主義の歪みが文学にも影響を及ぼしていて、そのあたりは現代と変わらない。素朴でおおらかな古代というのは、現代人が想像するユートピアでしかなく、古代だって現代同様大変なのである。そんな話がいきいきと伝えられていく様が本書の面白いところだと思う。

 難しいことはおいておき、面白かったのは、僧侶である景戒が編集した説話集である『日本霊異記』。民衆の間で伝わっている伝承に、景戒が仏教的なコメントをつけている構成になっているが、そのコメントがなんでも因果応報の報いにしてしまい、ピントはずれで可笑しい。おまけに仏教書の割には、蛇の子を堕した女(描写がとてもエログロ)とか、吉祥天女の像に懸想している修行僧(夢精までしている)とか、そんな話を納めていてよいんだろうかと思うような内容もある。学術的には、口承での伝承が納められているので、有用な資料とのこと。
 ところで浦島太郎の歌の「鯛やヒラメが舞い踊り」のヒラメは、実は浦島と仙女が交わった際の『比目魚』という体位の名前らしい。小学生も歌っているのに。
* 2006/11/04(土) # [ 読書感想文 ] トラックバック:0 コメント:0
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