÷0  ジャンル雑多な読書感想文
2006.04 « .1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31» 2006.06
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
* --/--/--(--) # [ スポンサー広告 ]
私の個人主義
私の個人主義
夏目漱石 中公クラシックス

 軽くメモ程度に。
夏目漱石の代表的な講演を納めた講演集。後の漱石作品を読む上で、参考になると良いなと思って読んでみた。明治後期から大正のリベラリストである彼の考えがよく分かる構成。あまり難しい言葉が出てこなかったので、読みやすいと思う。
以下、気になった部分のみ短評

・文芸の哲学的基礎
後半はともかく、前半は流石漱石だなあと思わされました。唯我論的に出発したあと、時間・空間・数・因果というものが意識が分化していったために生まれた方便(今の言葉で言うならフィクション)なのだという説明には改めて納得。芸術の表そうと目指すところが、美や情や真とか色々あって、一つだけに限定されないというところまでは良かったのだけれど、だからといって他の理想を害すような作品はいけないという点は疑問に思えた。こんなところにまで加害原理を適用しなくても、もっと色々なものがあっても良いんじゃないかとわたしは思う。

・現代日本の開化
昔も今も、日本は変わらず大変なようです。最近とある笑える本が大流行しているので、漱石の意見をちょっと引用してみる。
外国人に対しておれの国には富士山があるというような馬鹿は今日はあまりいわないようだが、戦争以後一等国になったんだという高慢な声は随所に聞くようである。なかなか気楽な見方をすればできるものだと思います。

・私の個人主義
おそらく漱石のしたなかで一番有名な講演。加害原理を元にした個人主義の話。平たく言えば、他人の意見を鵜呑みにするな。自分を尊重して欲しければ、他人を尊重しろ。金や権力を使う時には周りへの影響を考えろ、と言うことだと思う。これを貫き通すならば他人とつるむことはあり得ないので孤独なのは致し方ないと言われても、やっぱり近代に個人として生きることは大変。
スポンサーサイト
* 2006/05/21(日) # [ 読書感想文 ] トラックバック:0 コメント:0
坊っちゃん
坊っちゃん
夏目漱石 岩波文庫

 漱石の講演集「わたしの個人主義」を読んだついでに、久しぶりに読んでみた。わたしにとって初めて読んだ日本文学で、当時は卵をぶつけたりするところに爽快感を覚えたが、今読んでみると坊っちゃんのあまりの無鉄砲さに心配になった。
 有名すぎるあらすじ。親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている坊っちゃんは、松山に数学教師として赴任する。江戸っ子の彼にとって、松山は田舎臭くて好きな食べ物もろくに食べられない、堪えられないところである。学校の方も色々な思惑が渦巻いており、真っ正直な坊っちゃんにはなじめない。
 坊ちゃんが教師達に付ける変なあだ名と、野だいこの「全くターナーですね。」しか覚えていなかったが、読み返してみると、やっぱり面白くてすらすらと読んでしまった。思っていたより坊っちゃんはやる気のない人物だったとか、山嵐は意外に頭がよいとか、いつの間にか出来ていた先入観が間違っていたことが判明した。
 「わたしの個人主義」を読んだ後だと、読後感がとても寂しい。この講演のなかでは、個人主義とは他人の意見(権威のあるものでも)に流されないで、自分で納得できる生き方を見つけること。自己の行動(金を使ったり権力を振るうこと)においてそれに伴う義務を心得ること。そして、自分の個性を尊重するように、他人に対しても意見を押しつけず、他人の意見を尊重すること。というように要約されると思う。そしてここに述べた個人主義は、淋しさも含んでいると、最後の方で漱石は言っている。徒党を組まず、金や権力など共通の目的を持たず、それぞれが行くべき道を勝手に行くのだから、淋しさも潜んでいるのだと。そして、坊っちゃんもここで言う個人主義的人物にあてはまるのと思えるので、読んでいるととても淋しい。
 坊っちゃんは心の中で出会った人を強烈に皮肉るけれど、その意見を相手に押しつけることはない。山嵐と最後に行動をともにするけれど、それはたまたま敵が一緒だったためだけであり、徒党を組むことはなくあっさりと別れてしまう。なぜだか気に掛けているうらなり君も、非常に素っ気なく、最後まで人が良いまま宮崎へ左遷になってしまう。もちろん家族とはとっくに縁が切れている。清だけが坊っちゃんをそのまま肯定してくれていて、坊っちゃんも清だけはとても大事に思っている。その清が死んでしまって、他にほとんど人との繋がりを持たない坊っちゃんはどうなってしまうのだろう。この小説の最後の文章はこれなのである。
死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋めて下さい。お墓のなかで坊っちゃんの来るのを楽しみに待って居りますと云った。だから清の墓は小日向の養源寺にある。
大丈夫なのか、坊っちゃん。甚だしく心配である。

最後に好きな場面から。清からの長くて読みにくい手紙を、坊っちゃんが一生懸命に読んでいるところ。
なるほど読みにくい。こんな長くて、分りにくい手紙五円やるから読んでくれと頼まれても断るのだが、この時ばかりは真面目になって、始から終まで読み通した。(中略)すると初秋の風が芭蕉の葉を動かして、素肌に吹きつけた帰りに読みかけた手紙を庭の方へなびかしたから、しまいぎわには四尺あまりの半切れがさらりさらりと鳴って、手を放すと、向こうの生垣まで飛んで行きそうだ。おれはそんなことには構って居られない。(中略)ええ、大事な手紙だから風に吹かしては見、吹かしては見るんだと、自分でも要領を得ない返事をして膳についた。
* 2006/05/11(木) # [ 読書感想文 ] トラックバック:0 コメント:0
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。