÷0  ジャンル雑多な読書感想文
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2005年の読書総括
○今年の一冊

葦と百合
奥泉光 集英社文庫
さんざん考察したので、語ることはもう特にないんですが。やっぱり「虚無への供物」を読んだ後だと、影響が相当に見て取れました。



○今年のお勧め本
脳と仮想
茂木健一郎 新潮社
固いタイトルや拍子に比べて、中身はあっさりと読みやすいエッセイ。人に伝えることの出来ない、それぞれの脳の質感「クオリア」について語った本。想像の世界のリアルさが生き生きと述べられている。妄想と虚構に生きる現代人にとっての、福音の書となりうるか。(大げさに言ってみた)



○今年の時代物
雪の夜のあと
ドラマにもなった、「慶次郎縁側日記」の原作の2冊目。人情物。犯罪被害者の家族と加害者の家族に、許しや理解はあり得るのかという人情もの。どうしようもない駄目親父の娘のおぶんが痛々しくて哀れで可愛い。




○今年のSF
ソラリス
スタニスワフ・レム 国書刊行会
やっぱり、これ。安易なロマンチシズムを徹底的に寄せ付けない、圧倒的なソラリスの描写がよかった。





○今年のミステリ
モーダルな事象
奥泉光 文藝春秋
この人の作品にしては珍しく、きちんと謎に対して回答が与えられています。と言っても、いつものメタジャンル的な要素もきっちりは言っていますが。駄目教授の桑幸と元夫婦デカ(松本清張風)の二重奏を楽しめ。




○今年の一言

”C'est un champignon!”
Le Petit Prince』より
(邦題 「星の王子様」 適当和訳「そんなのキノコだ!」)
翻訳権が切れて、今年和訳ラッシュでちょっとしたブームだった「星の王子様」から一言。忙しいと言って、顔を真っ赤にしてお金ばっかり勘定しているおじさんに向けて放つ、王子の一言。『シャンピニョン』という発音がツボにはまって。いや、わたしもキノコなんでしょうが。



○今年一番恥ずかしかった本

9月は謎×謎修学旅行で暗号解読」(霧舎学園シリーズ)
霧舎巧 講談社ノベルス
図書館で借りるときに、表に返されて恥ずかしすぎた。
ブログにはいちいち書かないけれど、こんな感じの本が読む本の中で結構な割合を占めていたり。



○今年一番だまされた本
都市計画-利権の構図を超えて-
五十嵐敬喜 岩波新書
都市計画の概略が知りたかったのに、中身はただの巨大ビル建設批判。題名で嘘を付かないでほしい。口直しには、「まちづくりの発想」をどうぞ。





○今年の挫折本
容赦なき戦争
ジョン・ダワー 平凡社
太平洋戦争を、人種主義という面から解説する本。半分くらい読んで飽きて、挫折。「敗北を抱きしめて」は面白かったのに。

○今年の反省
とりあえず沢山の楽しい本に巡り会えたので良かった。

○来年の目標
3月末までに「失われた時を求めて」を読み終える
宗教や化学の分かりやすい解説書があったら読みたい
岩波文庫に収められているような古典を読む(文学・社会科学・思想)
といっても、エンタテイメント系も読みたい
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* 2005/12/22(木) # [ 企画 ] トラックバック:0 コメント:0
虚無への供物
虚無への供物
中井英夫 講談社文庫


 ミステリー界の『黒い水脈』の3冊目である「虚無への供物」。正面からアンチミステリーを掲げたこの作品を読もうと思い立って、早半年。ようやく読み終わったので感想を書いてみる。
 あらすじ。洞爺丸事件という大規模な船の沈没事故で両親を失った氷沼家の蒼司と紅司、そして従兄弟の藍司。まだ見ぬ「ヒヌマ・マーダー」を防ぐために、自ら探偵と自認する久生は、友人の亜利夫を氷沼家に送り込む。しかし、密室の中で紅司が不可解な死を遂げた。その事件の真相について、亜利夫たちはそれぞれに推理合戦と称して、推理を語る。しかし、そんな中で犯人に近いと見られていた蒼司らの叔父の橙司が密室の中でガス中毒死する。推理を語っていく程に錯綜していく、事件の真相とは。
 とりあえず、ドグラ・マグラに較べたら読みやすい。書かれたのが戦後と言うこともあるし、出てくる沢山のキャラクターが生き生きとしているので、話に引き込まれやすい。ミステリマニアのとんちんかん探偵、奈々村久生嬢と、「ミイ」なんて言ううさんくさい口調の藤木田老が一押し。
 シャンソン・薔薇・不思議の国のアリス・五色不動の由来についての様々な蘊蓄や、ノックスの「探偵小説十戒」や密室談義などミステリファンにはお馴染み(らしい)の会話など、ペダンチックな一面もあるが、やっぱり目玉は各探偵の推理合戦。同性愛の気配が後ろに仄かに漂っているのも、妖しい雰囲気を醸し出している。
 社会的事件が書き込まれている分だけ、多少古臭い感じがしないでもないが、この細かい描写こそが、この小説を重要なものに仕立て上げているのだろう。間に社会派ミステリを挟むが、これだけの人気を持つだけ合って、この作品は後の推理小説にも大きな影響を与えている。例えば、衒学性というより蘊蓄は京極夏彦へ、ミステリのお約束への挑戦は麻耶雄嵩あたりに受け継がれていく。(というか、これくらいしか知らない)

注意)以下、ネタバレを含むアンチミステリ覚え書き

* 2005/12/18(日) # [ 読書感想文 ] トラックバック:0 コメント:0
失われた時を求めて6
失われた時を求めて6

ゲルマント家の方
マルセル・プルースト 集英社

 これでようやく折り返し地点。ずっとサロン描写が続くので、まとめはあらすじのみであっさりと。
 あらすじ。医師の診察もむなしく、祖母の病状は悪化していき、かつての聡明さも衰えていく中で、祖母はなくなる。喪中で両親が外出している際、アルベルチーヌがステルマリア夫人との逢い引きを楽しみにしている語り手の家にやってくる。彼女は、バルベックで会ったときとはだいぶ変わっていた。語り手は彼女とじゃれあう。その後、ステルマリア夫人との夕食はご破算になり、サン=ルーと友情の一夜を過ごす。ゲルマント家に招かれ、語り手はエルスチールの絵を鑑賞し、スノブ達を観察する。帰りに、約束していたシュリュリャス男爵の処へ寄ると、なぜか怒鳴られる。ゲルマント大公夫人からの招待状が本物かどうか、ゲルマント公爵夫人に尋ねに言ったところ、不治の病にかかったスワンも来ていた。公爵夫妻は、知人の病気も親戚の死も重く受け止めず、パーティーへと出かける。

自殺を試みようとする祖母。
語り手がシュリュリャス男爵のシルクハットをぼろぼろにする。
デュピャンの店の地下から語り手の地下酒倉に繋がっている通路。
余命半年ほどのスワンと、赤い服に黒い靴は似合わないと叫ぶゲルマント公爵。
* 2005/12/17(土) # [ 読書感想文 ] トラックバック:0 コメント:0
meme(ハリポタ50の質問)
面白そうな質問項目に惹かれて答えてみました。
特にポッタリアンというわけでもないので、答えられていない箇所もいくつか。
ほんのり6巻ネタバレの答えもあったりするので、未読の方はご注意を

* 2005/12/12(月) # [ 企画 ] トラックバック:0 コメント:0
<反>哲学教科書
<反>哲学教科書
ミシェル・オンフレ NTT出版


 <反>哲学ではなく、あくまで<反>哲学教科書。フランスのリセ(日本で言う高校)で実際に使われていた教科書を翻訳したもの。この教科書を学校で本当に使っていたというのがすごい。日本だったら、おそらく検定の段階で通るはずないような刺激的なトピックに彩られているが、中身は真面目そのもの。
 内容は、
「君たちはかつて、人の肉を食べたことがある?」
「君たちは、なぜ校庭でオナニーしないのだろう?」
「なぜ君たちの学校は刑務所みたいに作られているのだろう?」
といった身近で素朴な問いから、過去の哲学者の考え方を参考にしつつ、丁寧に問題を追っていく。そして1トピックごとに、関連した哲学者のテキストの引用が付けられている。プラトンやカントと言った大物から、哲学史では素通りされがちな快楽主義者達、さらにメリエ(誰?)やグロティウスといったマイナーな哲学者まで幅広く取り扱われている。
 私的に面白かったのは、「机に『ノー・フューチャー』と落書きして、君たちは何が言いたいのだろうか?」 この疑問から、ニヒリズム・神学的ペシミスティック、そして逆の楽観主義的哲学者を論じていく項目。
 あまりに深く広い思想の一端を伝えて、考えさせるきっかけになるような本だと思う。此処で見ることの出来る入口のさらに奥に、解説書を読むなり原書を読むなりして分け入っていくのも一興だろう。哲学なんて考えなくても生活するのに何の支障もないが、自分自身以外にこうした問いを考えてくれる他人など誰もいないのだから。

 最近残虐な事件が多いので、引用されているテキストからひとつ。
 許し!だが彼らは私たちに、一度たりとて許しを請うたことがあっただろうか?許しを得ることに意味と理由を与えるのは、罪人の苦悩、罪人の孤独をおいて他はない。罪人が肥え太り、繁栄を謳歌し、「驚異の経済成長」で富を蓄えている時、許しなど、悪い冗談にしかならない。そう、許しは豚どものためにあるのではない。(中略)
 なにゆえに生き残った人々に、犠牲者の代わりとして、あるいは生存者、犠牲者らの親族、その家族らの名において、許しを与える資格があろうか?いや、獣が楽しんで手をかけた幼い子どもたちのために許しを与えるのは、私たちにできることではない。子ども達自身が許しを与えるのでなければならない。ならば私たちは、その獣どもたちに、そしてその獣どもの友人らに向き直って、こういおう。子どもたちに自分で許しを請うがいい、と。

ウラジミール・ジャンケレヴィッチ『非時効性』


本書を読むきっかけとなった記事
書評「<反>哲学教科書」 -悦ばしき知識-
ロリコンファル』より
わたしが書いたものより、さらに詳しく理論的に本書の紹介をされています。
興味を持った方は、是非。
* 2005/12/07(水) # [ 読書感想文 ] トラックバック:0 コメント:0
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