÷0  ジャンル雑多な読書感想文
2005.09 « .1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31» 2005.11
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
* --/--/--(--) # [ スポンサー広告 ]
失われた時を求めて3
失われた時を求めて3
not simple(1)
第一部 スワン夫人をめぐって
第二部 土地の名 土地
マルセル・プルースト 集英社

 社交界の平板調子の感想や、あまり馴染みのない演劇についての考察は読んでいて、なかなか眠くなってくる。ジルベルトへの失恋に対して、時に関する考察と共にうだうだ考えているのも非常に長い。ノルポワ氏が、文学についてまるでリュウマチの診断のように語る箇所は、面白かった。
あらすじ
 語り手は、父の友人であるノルポワ侯爵の薦めもあって、以前から評判のラ・ベルマの劇を見に行くが、失望を感じる。また、ジルベルトと親しくなってスワン家に出入りするようになり、あこがれの作家であったベルゴットとも親しくなる。しかし、ジルベルトとの仲が終わりを告げると共に、スワン家とも疎遠になっていく。語り手は、祖母と共にバルベックへと旅行に出かける。
 気になる点
ジルベルトの隣を歩いていた青年・ジルベルトから来たお茶会への誘いの手紙の筆跡
 覚えておくべき点
ホテルにあった固く糊のついたタオル・語り手が服と靴を脱ごうとしてボタンに掛けた手(祖母のいる場面)
 気になった箇所
ラ・ベルマの劇(近親相姦的な示唆)・オデットの上流階級への接近・忘れることについての考察

スポンサーサイト
* 2005/10/30(日) # [ 読書感想文 ] トラックバック:0 コメント:0
完全な真空
完全な真空
スタニスワフ・レム 国書刊行会

 SFは殆ど読んだことはないのだが、どこかでスタニスワフ・レムがいいという文章を見つけたので、試しに読んでみる。ちなみに作者はポーランド人で、ノーベル文学賞候補者にもなった人らしい。
 架空の本の書評集という形を取った小説。このような形式を取ることで、創作の自由と批評性の一石二鳥。傑作なのは、まず一番始めに「完全な真空」の書評が載っているということ。題名も「完全な真空」であることだし、結局実在しない本を読んでしまったのだった。
 前半に多い現代小説の批判的なパロディ・SFのアイデア集的なものと、後半にある科学評論的なものがあるが、どちらも質が高いと思えた。どちらかというと、後半の方が好みではある。
 以下で、特に面白かったものを、いくつか紹介。

「性爆発」(原題sexplosion)
ある化学物質によって、世界中の人々から性欲が失われて、世界に危機が訪れるという話。誰ももう、性行なんてしなくなったのに、日本人だけが国のお達しによって、生真面目に性行に及んでいるというくだりが面白い。
性欲が無くなったって、人間から欲望なんて消滅しません。
スクランブルエッグをストローですすうのは、最高に変態的だと思う。

「生の不可能性について/予知の不可能性について」
両親が出会う確率。母親が生まれた確率。この世界に生命が生まれる確率。「自分」が生まれて来るまでに、様々な因果関係の意図が連なっている。その糸をたどって自分が生まれる確率は、いったいどれくらいなのか。
結果的に、自分が生まれてくる確率は非常に低くなり、この宇宙全ての時間の中でもあり得ないような確率になってしまう。物理学的確率論が正しいのなら、「自分」という生命の存在は不可能である。さもなくば、確率論が間違っているのか。
結局前提がずれていると、矛盾が生まれてしまう、と言う話。

「われは僕ならずや」
コンピュータによってプログラミングされた、数学的次元を素にして作られた存在、サイバネティクスを観察する実験。そして、サイバネティクスによって語られる、神の存在論。
果たして神とは全能の存在なのか。

「新しい宇宙創造説」
なぜ宇宙は膨張しているのか、どうしてミクロを説明する量子力学とマクロを説明する相対性理論が統一できないのか、など「宇宙がなぜこのような姿であるのか」を説明する、本書一番の力作。
「なぜ」という科学には馴染みにくい問いに対して、ずばっとあっと驚く仮説を示してくれる。
勿論奇想天外な仮説だが、架空の理論を提唱することによって、ビッグバン理論や不確定原理に対してつきつけるものがあるように思える。

「ギガメシュ」(ジョイスのユリシーズへのパロディ)や「とどのつまりは何も無し」(ヌーヴォーロマンへの批判)などは、読み手であるこちらに元ネタとなる知識がほとんど無いのと理解力不足で、よく分からない箇所が多数。
* 2005/10/27(木) # [ 読書感想文 ] トラックバック:0 コメント:0
吾輩は猫である
吾輩は猫である
夏目漱石 岩波文庫


 言わずと知れた漱石の代表作の一つ。数年前にトチメンボーの辺りで挫折していたまま放置していたので、久しぶりに再挑戦してみたところ、するすると嵌ってしまった。
 あらすじ。名無しの猫君である「吾輩」が、主人の苦沙弥先生の身の回りで起こる出来事を語っていく。身の回りの人々の失敗談やら、泥棒騒ぎやら、裏の学生連中との諍いやら、取るに足らないような些事を苦沙弥先生や友人達とのやりとりが、猫の視点から事細かに描かれる。
 とにかく、過剰な饒舌体を楽しむべし。軽妙洒脱な語りの魅力が溢れている。明治特有の漢字だらけの青年文士のような文体もますます、この殆ど贅言と言ってよいような内容に拍車を掛ける。洒落と機知に富んでいて、かついい加減な迷亭の長広舌が、この小説の特色の一つだろう。明治の風俗(特にインテリ達の)も垣間見られる。
 夏目漱石が色んな形でちょこちょこと顔を出すのが、読んでいて興味深い。漱石自身がカリカチュアされた苦沙弥先生はもちろん、こっそり東風君の同人仲間として小説を書いている「夏目送籍」なんかが出てきたりする。そもそも語り手である「猫」自身が、話が進むにつれ、だんだん飼い主である苦沙弥先生に似てくるのが可笑しい。(どことなくものぐさな仕種とか、他の猫とのつきあいを殆ど立ってしまったかのように見えるところとか) 見る「猫」と見られる「苦沙弥先生」という漱石自身の(?)微妙な緊張関係が、動物による人間の観察という形式によって際立ってくる。
 文明開化も真っ只中、日露戦争の勝利に西洋文明万歳という雰囲気の中で書かれたと思われる終盤の悲観的な文明論は、洋行したこともある漱石にとって、どのような意味を持ったのだろうか。(迷亭の結婚に関する予言は、今の時代にかなり当てはまっていて驚く。)
 それにしても、大産業が勃興しはじめ資本主義社会が浸透していく社会で、資本家達が力を握って行くにせよ、漱石のブルジョワ嫌いは筋金入り。よっぽど何かあったのか。金田鼻子についての描写は、可哀想を通り越して、吹き出してしまう。
 論文や解説書などには、このあたりのことは詳しく載っているのだろうが。

 楽しい人物紹介
・珍野苦沙弥 語り手である猫の主人。気難しい英語の先生。(漱石自身を戯画化した姿らしい)
・水島寒月 苦沙味先生の元門下生。球磨り名人で、蛙の目玉の電離性を研究する理学士。
・迷亭 法螺吹き美学者。酩酊の名の通り、酔ったような与太話ばかりする。*
・越智東風 寒月の友人で、詩人。真面目な芸術信奉者。「おちこち」ではなく「とうふう」と呼ぶと怒る。
・鈴木の藤さん 有望な実業家。近所のブルジョワである金田の手先のような働きをする。*
・多々良三平 九州出身の苦沙味先生の元門下生。駆け出し実業家。山の芋を送ってくれる。
・八木独仙 山羊のような髭を持った消極的哲学者。知人を何人も狂わせた実績を持つ。*
・金田鼻子 貴き鼻の持ち主。娘の富子を寒月と結婚させようとする。
(*は苦沙弥の元同窓生)

追記)「吾輩は猫である 読書感想文 あらすじ」などのキーワードでいらっしゃった方へ
全く役に立たないページで申し訳ありません。
基本的に明治インテリがだらだらしゃべったり、どうということもない騒動を繰り広げているだけなので、個人的には長い割に、読書感想文向きの教訓を引き出すのには、あまり向いていない作品だと思います。
課題図書でないのなら、ベタですが夏目漱石なら「こころ」の方が書きやすいと思います。
「猫~」はとりあえず楽しい小説を読みたい方に、是非一読をおすすめいたします。

○奥泉光「吾輩は猫である殺人事件」関係の小ネタ
 伯爵の推理シーンで花瓶の強度をアルファベットを使って説明する箇所は、寒月君の語る「首縊りの力学」を語るシーンから。
 作中で名前の出てくる「夏目送籍」は、東風の同人仲間。
 「電光影裏で春風を斬る」は独仙の禅宗めいた口癖の一つ。
他にも色々とあると思うが、とりあえず目に付いたところだけ。
 
* 2005/10/23(日) # [ 読書感想文 ] トラックバック:0 コメント:0
Harry Potter and the Half-Blood Prince
Harry Potter and the Half-Blood Prince
J.K. Rowling bloomsbury


・はじめに
 ネタバレです。未読の方はご注意を。
 一部好意的でない部分、個人的偏見の混じった部分、誤読のおそれのある部分があります。

つらっと書き連ねただけなので、ほとんど雑感。
* 2005/10/21(金) # [ 読書感想文 ] トラックバック:0 コメント:0
ドグラ・マグラの堂廻眩暈(途中)
注意)容赦なくネタバレです。未読の方はご注意を

読めば読むほど味の出る「ドグラ・マグラ」の要素をつらつらと考えていきたいと思う。

* 2005/10/17(月) # [ 考察 ] トラックバック:0 コメント:0
失われた時を求めて2
失われた時を求めて2

第2部 スワンの恋
第3部 土地の名・名
マルセル・プルースト 集英社

 あらすじ。
第二部:スワンは高級娼婦のオデットへ恋に落ちる。オデットのために、ブルジョワのヴェルデュラン夫人のサロンに入り浸るが、やがてサロンから追い出されてしまう。オデットはスワンにつれなくなり、浮気をたびたびするようになる。そして最後に、趣味に合わない女に恋したのだろうと嘆く。
第三部:幼い頃の語り手は、行ったことのない地に思いを馳せる。シャンゼリゼ通りでスワンの娘、ジルベルトと出会い、彼女に初恋をする。森の中でスワン夫人となったオデットを見かける。
そして今年、語り手はオデットを見た森へ出かけるが、すでに昔の森ではなく落胆する。

面白かった場面
 ヴァントゥイユのソナタの一小節から始まるオデットへの恋。空白ゆえに空想を募らせることで、広がる愛情。恋心を長引かせるために、自分の好きな美術品とオデットの類似性を挙げる。
「カトレアする」
その行為が相手に何らの影響を及ぼさないのに、手紙にジルベルトの名前を何度も書き付ける。
* 2005/10/09(日) # [ 読書感想文 ] トラックバック:0 コメント:0
ドグラ・マグラ
ドグラ・マグラ
夢野久作 現代教養文庫

 ミステリ界三大奇書の一つ。読んだら最後、脳髄地獄に呑み込まれ戦慄する、という触れ込みの狂人が書いた狂気の手記。が、意外にすんなり読めてしまった。むしろ、精神病理の溢れる現代だからこそ、至極まともに読めるような気がする。戦前に書かれたものだが、脳科学と遺伝という現代医学の二大骨子に踏み込む作者の先見性には驚く。
 あらすじ。ブーンという時計の音と共に、「わたし」は暗い部屋の中で目覚める。一切の記憶を持たずに、自分が誰だか分からない「わたし」は、精神病棟に入れられている。現れた教授によって外へ連れ出され、記憶を取り戻すために見せられた分厚い書類。その中に書かれているとある教授の遺書と論文。そして、異常心理と変態性欲の起こした奇妙な事件。この文書を読み終えた時に、背後から現れたのは・・・。
 かなり長いが、語りのテンポがよいので割とすらすら読める(と思う)。教授のカタカナ語混じりの軽い口調や、真っ白で素直な「わたし」の独白文、そして何より面白いのが「精神病院はこの世の生地獄」と喝破する唄い文句。チャカポコ、チャカポコ。
 「脳髄は物を考える処に非ず」はなかなか衝撃的文章らしいが、養老さんの本で見慣れた話だからあっさりスルー。「中枢は末端の支配者」ならぬ「末端は中枢の支配者」論。精神病患者を普通人と全く切り離して考えるのではなく、誰にでもある歪みの極端例と考えるところや、その区別の曖昧さ、唯脳論的言説など、昭和初期とは思えないほど先見性にあふれている。精神病者の処遇など、最近は多少改善されてきているとはいえ、やはり当時のままに、問題は解決されていないのだろう。
 一押しは従兄弟にして婚約者にして人形のような絶対美少女、呉モヨ子。初登場台詞から、異彩を放っている。
「・・・・お兄さま。お兄さま。お兄さま、お兄さま、お兄さま、お兄さま、お兄さま。・・・・モウ一度・・・・今のお声を・・・・聞かしてエ―ッ・・・・・・・・」
強烈すぎ。妹属性の方に是非おすすめ。もう少し出番があれば良かったのに。名前が変わっているが、母の八代子や叔母の千世子の名前から察すると、百代子のような漢字が当てはまるのだろうか。
 気楽に付けた考察はこちら。「ドグラ・マグラの堂廻眩暈」(予定)
 次はいよいよ「虚無への供物」の薔薇園へ。
* 2005/10/01(土) # [ 読書感想文 ] トラックバック:0 コメント:0
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。