÷0  ジャンル雑多な読書感想文
2017.10 « .1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30» 2017.12
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
* --/--/--(--) # [ スポンサー広告 ]
日本美術の歴史
日本美術の歴史
辻 惟雄 東京大学出版会

 なんとなく日本美術の通史を読みたいと思ったので、この前読んだ「奇想の系譜」が面白かった辻さんの本から。あと、横尾忠則デザインの表紙のインパクトにつられて。
 印象としては、土偶からマンガまで、古典から村上隆らまで日本の美術を追って、そこに通底するものや変化していくものを探ろう!という感じでした。いかにも繊細な「日本美術」という感じのものから、キワモノやゲテモノに近いものまで、なかなか広がりのある日本美術をざっと眺めたいときにどうぞ。
 内容は一応教科書用とのことなので、縄文時代からほぼ戦前までのおおよその流れがまんべんなくさらえるし、きれいな図版も豊富なのがうれしい。絵画や彫刻だけに限らず、書や建築や工芸にも目配りあり。記述は特にかたよりなく読みやすいが、たまに出てくる著者の個人的感想に近い文章が楽しい。やまと絵や仏像なんかは固有名詞だらけの個別の説明文を読んでもさっぱり頭に入らないので、豊富な図版とともになんとなく大雑把な流れだけでも頭に入るのでありがたい。

以下、個人的に気になったポイント。
・現代人の理解を超えてる土偶の造形。中国など他国からの文化的影響がほとんどない(というか国家という枠組みでない)頃のつくりもの。まじ宇宙人。やべー。
・その時代の流行りや好みや嗜好を映す仏像や仏画。童顔美少年とか肉感的エロチシズムとか中性的アルカイックスマイルとか男性的躍動感とか。実在しない理想の存在はやっぱり素敵ですよねー。西洋の彫刻と違ってあんまり質量感がない感じなのが、ますます2次元と3次元の境界を越えてるような。私は神秘的で不思議で可愛い、象に乗った普賢菩薩が好みです。
・中国から近すぎず遠すぎずの絶妙の位置がつくりだす日本文化。江戸後期からは西洋が中国の位置に代わっていく。自文化とは異質なものを外面的に摂取し、オリジナルな解釈を施し、なんだか違う新たな物を作りだす伝統。海に囲まれた極東であるという位置が、文化として大きな役割をはたしているんだなあと思いました。その中で、明治以後多くの画家が、西洋に留学したことで逆に圧倒的に異なる文化や伝統の重み、またそれに反逆しようとする運動の前に、その才能を潰してしまったという記述が哀しい。
・諧謔やユーモアあふれるもの。あまり知らなかったけれど、意外とあるものですね。北斎や河鍋焼斎などの浮世絵師らや、あるいは良寛や白隠など超俗の僧侶とか諸々。ウインクしてる木像が素敵。
・明治以後の画家はあまり知らなかったので、勉強になりました。色々あるもので、黒田清輝以前の洋画は脂っこくて暗いので「脂派(やには)」と呼ばれましたという記述が可笑しい。空襲で焼かれる直前の東京を描いた松本竣介の途方に暮れたような絵が個人的には印象に残った。

 ところで、日本美術の特徴として語られる平面性、繊細、全体の構成ではなく細部への志向性。また東洋絵画としての描線へのこだわりや、けれんみのある誇張。こう並べると漫画やアニメなどの表現形態と相性がいいのもむべなるかな。つまり、三次元より二次元が好みなのも大昔からの伝統だったのです!すでに手遅れ。
スポンサーサイト
* 2010/10/24(日) # [ 読書感想文 ] トラックバック:1 コメント:0
読書メモ
歯ごたえ固めの3冊+αで。

ニューヨーク革命計画
アラン・ロブ=グリエ 新潮社

 強姦と殺人と火事。欲望の街を革命するために必要な赤と黒の3つの犯罪。

 正直何が起きているのかさっぱりわからないし、文章は無味乾燥でとくに興味を引くわけでもないのに、非常にスリリングで、非常にエロくて、抜群に面白いのがロブ=グリエの不思議。
 あらすじ。無意味なので省略。
 犯行現場への放火。スパイの女への拷問。囚われの少女。どこまでも続く鉄階段。いつもいる見張りの男。割れる窓ガラス。怪しげな黒人。マッドサイエンティスト。鍵穴から覗く秘密の情事。通俗的でほとんど退屈ともいえる、ありきたりなイメージ。欲望と手垢にまみれたこれらのイメージををいくつも組み合わせて何回も反復させ、ついつい組み立ててしまう『物語』というものをひらりひらりとかわしながら、いつのまにかつくられていくイメージの万華鏡。人称も舞台も構造も、イメージだけを頼りにぐんぐんと飛び越えてしまう跳躍感がたまりません。
 それは廃墟での人形を使った一人芝居なのかもしれないし、探偵小説のワンシーンなのかもしれないし、少女の想像なのかもしれないし、尾行していた男の報告書なのかもしれないし、地下鉄の商品ポスターの画像なのかもしれないし、尋問されている女スパイの嘘なのかもしれないし、そのどれでもないのかもしれないし、どれでもありうる。
 つまりとても面白いテキストだということです。



エントロピーと秩序
ピーター・アトキンス 日経サイエンス社

 アトキンスさんのサイエンスノンフィクションは本当に珠玉の出来なんですよ!化学も物理も生物もひとまとめにして面白くわかりやすく、そして想像力豊かに語ってくれるなんてすばらしい。文芸書だけでは体験できないスリルと興奮をあなたに。
 簡単なエンジンの説明から始まって、時間のなりたち、宇宙のはじまり、生命の存在、そして自然を統べるシンプルな法則であるエントロピーについて。

 熱エネルギーを全て「仕事」に変換させることは不可能である。
 なぜなら、熱とは「仕事」より無秩序な状態であり、熱エネルギーを一部捨てて無秩序さを増大させることではじめて、「仕事」というよりエントロピーの少ない状態を獲得できるからである。
 無秩序さというエントロピーが増えるということは、確率の低い世界からより確率の高い世界になるということであり、つまり二度と前の状態に戻ることはない「時間」という概念が生まれることである。
 宇宙全体のエントロピーが増えることは絶対だけれど、系の他のエントロピーを増大させることで局所的にエントロピーを減少させることは可能である。ゆえにエンジンや結晶や生命という持続可能な構造が生まれ、結果的にエントロピーは増大していく。
 人体の機構は摂取したブドウ糖などの構造を破壊しエントロピーを増大させることで、局所的にエントロピーを減少させ、「生命」という構造を維持させるためのエネルギーを得る。
一様性や一貫性という性質は、もともと一時的なもので、エネルギーの流れが構造を支えるのをやめたとたんに、一様な状態は乱雑な状態に崩れてしまう。エネルギーの分散が止まると、人間のように、ピストンにも死が訪れるのだ。乱雑さが一様性をつくり出し、それがまた乱雑状態に戻る、つまり、乱雑さというほこりのような状態が最後には、またほこりになる。しかし、ただもとに戻るだけではない。ほこりがほこりに戻る間に、その過程から枝分かれして、生命の構造ができるのだ。だから、私たちは生きるためにエネルギーを分散させ、はかない不安定性を支えていなければならない。安定は、死を意味するからである。
 だそうです。




定本 日本近代文学の起源
柄谷行人 岩波書店

 日本近代文学が依拠してきたものの起源、及びその忘却について。
 わりと今となってはスタンダード、というかどこかで見知った話が多かったので、これがネタ元なのかなあ。
 明治以降の日本近代文学が描いてきたとされる「風景」や「内面」、そしてそれらを記述する言文一致体。外国から仕入れてきた概念を記述する際に、いままでの文化になかったそれらをいかに今までの散文たちに接続し、日本的な租借と改編を施し、そしてその起源を忘れてしまうまで。
 つまり、今わたしたちがなんとなく当然だと思っている日本近代文学が『作り上げられる』まで。 

 たまにこういう本を文学部の学生でもないのに読んでて一体何の役に立つんだろう、と自分でも思ったりするけれど、こういうのを頭のどこか片隅にでも置いておくと、他のいろんな本を読むのがもっと楽しくなったりするかもしれないし、そうなるといいなという野望があったりするので、まあ読んでみると面白いかもしれません。

 ところで、定本繋がりで同時に読んでた近田春夫の「定本 気分は歌謡曲」は、掲載紙が数十年前のポパイなのでノリが懐かしく軽い感じですが、書かれてあることの根っこにあるものが「日本文学史序説」と全く同じでたいへん楽しい。
 この洋学などの影響を切っても切り離せない外国文化の受容と変容の仕方こそまさしく『日本的なるもの』で、つまり『歌謡曲』なのである、という。だから今でも変わらず『歌謡曲』はJ-POPと名を変えて街を流れて、私たちはこの本を楽しく読むことが出来る。
* 2010/08/22(日) # [ 読書感想文 ] トラックバック:1 コメント:0
ミスティックリバー
ミスティックリバー
クリント・イーストウッド監督

 あまりにも取り返しの付かない人生たちと愛と正義について。
 あらすじ。幼馴染のジミーとショーンとデイヴが路上で悪戯をして遊んでいると、警官風の男がやって来て、デイヴを車に乗せる。監禁と暴行の悪夢の4日間の後、デイヴは帰宅する。そして25年後、ジミーは雑貨店主、ショーンは警官、デイヴは労働者となり、彼らは知り合い程度の関係でそれぞれの人生を生きている。ある日、ジミーの娘が惨殺され、ショーンが取り調べに当たる。そして容疑者としてデイヴが浮かび上がってくるが。
 最初からラストまで暗い緊張感が漂う作り。一人だけ『車に乗ってしまった』ことで悲劇の当事者となってしまったデイヴと、あとの二人の「自分でなくて良かった」という引け目がこのサスペンス全体に陰鬱な陰影を与えて、興味を引っ張ります。登場人物のさまざまな選択が、因果関係は不明でありながら確かに現在に影響を積み重ね、人生に対しての重み(こう書くと軽いけれど)の重苦しさを否応なく伝えてくるのは、さすがイーストウッドとしか。
 圧倒的な後味の悪さと納得のできない感じは、狙って作られているとはわかっていてもやっぱりやり切れないです。尊ぶべき愛と正義が執行されたことで、これほどどうしようもない気持ちになる映画はなかなか見あたりません。洗い清められることのない罪と、消えることのない悲しみや傷が、表面上穏やかな水面の川に沈められ、すべて明らかになることは決してないままに流れていきます。
 原作は小説で、レビューを見る限り、丁寧な心理描写と饒舌なまでの背景描写で読ませるつくりらしいけれど、映画のほうはイーストウッドらしく言葉は寡黙で行動で語らせるいつもの感じ。小説の根底にはアメリカの格差社会がもたらす逃れようのない轍がありそうだけれど、映画のほうではさらに普遍的な人生そのものの不条理を感じさせる仕上がり(だと思う)。
 最後の投げっぱなしのようなパレードのシーンにカタルシスは一切なく、だからこそより悲壮であるしかない人生が浮き上がってきます。それまでの苦悩や不幸に見合った幸せが訪れることもなく、悲しみに途方にくれたままのデイヴの妻とパレードの車に乗った息子がほんとうにやるせない。人生に釣り合いなど取れるはずのないなんて分かり切ったことが、どうしようもなく悲しい。
 うろ覚えだけれど、ラストのパレードのシーンでこんな台詞があって、そうであればどんなにか救われるのだろう。
 あのままみんな車に乗っていて、それですべてが夢であれば良かったのに。

 ついでにアメリカ映画といったらそれはアメリカを描いていることでもあるので、その視点で見ると、この普遍的な人生を描いた映画は、アメリカが直面する問題を描いた映画でもある。
 「愛のために行われることはすべて正しい。ほかの人は弱いが、あなたはこの街の王」というジミーの妻の台詞はそのままイラク戦争への意見に繋がっている。
 兄を愛するがゆえにおこなわれた殺人。犯人の父を過去に殺していた罪。復讐のための正義。誤解に過ぎない大儀。愛という正当化による正義の執行こそが、さらなる愛のための復讐を生み出す連鎖。
 人々の人生は錯綜し、誰かの愛と正義は、誰かの憎悪と復讐へと繋がっていく。突如として理由もなくおそってくる暴力に弱者はなす術もなく飲み込まれ、そしてそれが誤解であったとしても取り返しなどつかない。だからこの映画には、行き場のない悲しみが全編を覆っている。
 そしてたったひとつ、この映画での救いでもあるショーンと妻との和解のきっかけが「僕も悪かった」という言葉であることも。
* 2010/07/27(火) # [ 映画感想文 ] トラックバック:0 コメント:0
20世紀SF① 星ねずみ
20世紀SF①星ねずみ 1940年代
アンソロジー 河出書房文庫

 SFの古典・名作を読みたくなったものの、どれから読めば分からなかったので、お手軽に年代ごとからの短編アンソロジーを。ただし英米もの限定。
 見果てぬ夢と挫折の予感。全体的に40年代と言うことで、科学はまだその限界を知らず、けれどどこかですでに左折することを知っているような、そんな印象を受けました。SFといっても、とくに作品自体が論理的・合理的と言うわけではなくて、怪奇小説や冒険小説にロケットや異性人などのSFガジェットを持ってきただけの作品も多いので、SF読まず嫌いの人でも読みやすそうな感じ。短編集と言うことで、長編SFにありがちな興味のない人にはどうでも良い長ったらしい世界観の説明(しかも本筋にあんまり関係がなくて腹が立つ!)もないので、初心者には嬉しい。
 しかし、SFを読んでいると妙にロマンチックな気分になるのはなぜなんでしょう?
 以下、面白かったものの雑感
○フレドリック・ブラウン「星ねずみ」
 ミッキーマウスがスターマウスに進化する!という話。「真っしろな嘘」や「さあ、気ちがいになりなさい」を読んだ時も思ったけれど、少し意地の悪い気分でにやにやしながら読むのが正しいと思う。皮肉な語り口とこぎ見よい展開と、いかにもアメリカ短編小説な妙味がいいです。
○アイザック・アシモフ「AL76号失踪す」
 アシモフ博士の書くロボットはどうしてこんなに可愛いのだろう!さすがロボット三原則を生み出しただけはあります。人間とは違う行動原理により、どこまでも与えられた命令に忠実で健気で、それゆえに時に悪意を持たずに残酷。そもそもロボットが人間になりたかったり、感情を持ちたいなんて、きわめて人間至上主義的なつまらないこと思うわけないじゃない。ロボットがあくまでロボットでしかない、そんな愛すべき存在を読めただけで大変に満足でした。
○レイ・ブラッドベリ「万華鏡」
 はかりしれないセンチメンタル。『科学』という途方もない力を手に入れながら、けれどどうしようもなく無力であり、取り返しのつかない人生は苦く、後悔ばかりが残る。だからこそ、想像力による色彩豊かなほんの一瞬の救いのようなものがとても美しい。特に合理的でも科学的でもないけれど、「科学のある世界」に結びついているからこそ描き出せる、儚く綺麗な世界が魅力的。
○ロバート・A・ハインライン「鎮魂歌」
 あふれたぎる力強いアメリカンロマン。大いなる西部、開拓されるべき地としての宇宙。そして、追いかけてやまないアメリカンドリーム。ベタもいいところの展開ですが、やっぱりこういうのはたまりません。「夏への扉」など、この人の作品を好きな人が多く、影響力が大きいのも納得の短編。
○ウィリアム・テン「生きている家」
 家と人の異種恋が見れると思ったのに、がっかりだよ!
○セオドア・スタージョン「昨日は月曜日だった」
 あらすじ。自動車修理工のハリー・ライトは月曜日の仕事を終えて寝る。目を覚ますと、水曜日だった。火曜日があった記憶はない。外に出ると、見知らぬ小人たちが舞台装置のように景色を建て替えている。昨日は月曜日だったのか?ハリー・ライトは無事火曜日へと帰れるのか?
 奇想SFの見本のような短編。不思議で突拍子もない仕掛けだけれど、今・ここの現実と矛盾せず、どこかでありうるのかもしれない可能性を思わせる愉快な世界。科学的というより、論理的な世界観が楽しい。最後のひねりの利いた結末で読後感もすっきり。
○チャールズ・L・ハーネス「現実創造」
 理性主義が誇大化して極限まで辿り着くとこの結末になるのはいつものことですよねえ。人間が観察しなければこの世界は存在しないという人間定理は、わりとしょうもない感じ。ちなみに話の核である原子崩壊の話は、無粋だけれど今の視点から見ると量子力学的に間違っている気がします。この手の話はイーガンの「万物理論」を読んだ時も思ったけれど、キリスト教的世界観を共有していないと、ばかばかしい感じがするのは否めない。
* 2010/07/11(日) # [ 読書感想文 ] トラックバック:0 コメント:0
万延元年のフットボール
万延元年のフットボール
大江健三郎 講談社文芸文庫

 奥泉光の『葦と百合』元ネタ本のうちまだ読んでいなかったので、読んでみた。暗くて重そうという先入観のもと読んだところ、やっぱり明るくないし重苦しいし、その上かなり長いのだけれど、抜群に面白い。書かれたのは安保闘争が終わり少し経った頃、という時代背景を前提に読むと意味が通りやすいと思います。
 万延元年と戦後と現在、死者と生者を繋ぐ『夢』の強度について。
 450ページほどの堅牢に固められた情報のかたまりを、わたしのゆるい感想でひもといていったらとんでもなく長くなりました。でもまだ全然語り足りない。『蔵』という場とか、正面だってはほとんど出てこない曾祖父についてとか、気になる部分は山ほどあれど、今回はここまで。

 あらすじ。僕は夜明け前に裏庭の浄化漕タンクを入れるための穴に犬を抱いて入り、顔を朱く塗り肛門に胡瓜を挿して縊死した友人のことを観照する。ある日、転向した学生の自己反省演劇を行うためアメリカに渡り姿を消していた弟が日本に帰ってくる。僕は妻と弟たちと一緒に故郷の谷間の村へ、遺産である蔵を売り新生活の礎となるべき「草の家」を見つけに帰る。弟は村の若者を組織して、かつて僕の曾祖父の弟が指導した万延元年の一揆を再現しようとしていた。

 こうしてあらすじを書くと脈絡ない感じだけれど、実際に読むとどの文章もしっかりと絡み合い、適度な謎が少しずつ明かされていくという展開なので、思った以上に読みやすい。軸となる3人の登場人物が、「社会に受け容れられた人間」としてネズミのように生きている主人公の蜜三郎、アルコール依存症になりかけの妻の菜摘子、暴力への衝動を持ちながら一揆の再現を目論む鷹四。彼らの周囲には、鷹四の崇拝者の若者である星男と桃子、際限なく肥満していくかつての使用人のジン、温厚な村の住職、村を経済的に支配する朝鮮人の「スーパーマーケットの天皇」、角刈りの不気味な村の若者などが配され、さらにその周りに閉鎖的で鬱屈したムラ社会がある。そして直接姿を現すことのない、顔を朱く塗り肛門に胡瓜を挿して縊死した友人と、頭の手術によりただ笑うだけになった主人公の赤ん坊が小説全体に影を落とす。

 とにかくこの小説にはすごい量の情報が詰め込まれているのに、破綻なく圧倒的な質量感で迫ってくる。小説は登場人物たちの生き方を語り、ムラという特異な社会を語り、日本という国家のことを同時に語っている。万延元年の一揆を語り、戦後の混乱を語り、現在のフットボールを語っている。いまおきてる現実を語り、過去に起きたことへのイメージを語り、また文献というテキストを語っている。どれもが確かに等しく重さを持ち、緊密に繋がりあっている。
 ひとつひとつのエピソードや登場人物たちが、同時にムラ社会や日本の縮図であるという多義性を持つために、文章一つ一つがどうしようもなく重い。わけもわからず抑えきれない欲望で肥大する者、責任の所在のわからないまま暴動に参加し『恥』の意識を持ち続ける住民など、具体的なイメージを持ちつつ抽象化された登場人物たちはわかりやすく日本の国民をも表しているのだと思います。
 そしてこの小説をさらく重くしているのは、個人や国家や社会という水平方向とともに、万延元年と戦後と現在という垂直方向が様々に響き合う重層構造です。万延元年の一揆を主導し、一揆弾圧後に姿をくらました曾祖父の弟、戦時中様々の暴力行為に荷担し戦死した長男、戦争から帰り朝鮮人集落の襲撃に参加して殺害されたS兄さん、安保闘争に挫折し転向した弟の鷹四、血で繋がったこの縦糸を現在まで引きよせて折り重ねるように繋いでいくのが『夢』というイメージである。鷹四が語るS兄さんの死亡時の記憶は、僕が憶えているものとは食い違いがあり、改ざんされた様子である。曾祖父の一揆後の消息や、S兄さんの死の真相など、誰もがそれぞれのイメージという『夢』を持ち、鷹四はそれを現実に再現しようとする。
 だからこそ過去は現在と重なり合い、そのように歪曲されつつ現在まで伝えられてきたイメージを引き継いでいく仕組みが、この作品でのキーのひとつである念仏踊りなのだと思います。

 さて、この小説を語ろうとする上で欠かせない台詞が「本当のことを云おうか」という言葉です。小説を書くに当たってこれほど矛盾する言葉はないわけだけれど、これだけ長い小説でありながら、実のところ『本当のこと』というのは結局明らかにはされていないように感じられます。
 『本当のこと』を言ってしまった友人は理解を越えた形で死んでしまうし、主人公はまだ『本当のこと』を手に入れられず、最後に明らかになる曾祖父の弟の生き方については、あくまで主人公がラストにもたらされた手がかりから推測したものにすぎない。そして鷹四のあの忌まわしい告白は、告白した内容ではなく、彼の惨たらしい死をもって『本当のこと』になってしまう。
 けれど、結局他者には『本当のこと』などわからないし、そもそもそのような「社会に受け容れられた」人間に理解されることを拒むようなものこそ『本当のこと』だと鷹四が定義している以上、『本当のこと』など明らかになりようにないわけです。
 どれだけ過去や他者について『本当のこと』を求めようとも明らかになることがないと知ったうえで、だからこそ過去や他者とリアルに繋がりを持つたったひとつの手段である『夢』が、歪曲され不確定な形でありながら、この作品では切実さを持って、こんなにも確かなのかもしれないと思いました。

 面白かった場面は、鷹四の告白に対する主人公の徹底的な拒絶戦後や安保の後にきっと沢山のこうした告白があったのだろうと思う。そして今だって、小説のなかにはもっとどうでもいいような告白の垂れ流しが、それこそ無数にある。
きみはただ、そうした荒あらしく酷い死を遂げて、近親相姦とその結果ひきおこされた無辜の者の死の罪悪感を償うにたる自己処罰を果たし、しかも谷間の人間には、『御霊』のひとりとして暴力的な人間たる記憶をかちえることを切望しているのみだ。(中略)しかし、鷹、繰りかえしきみは危機に甘ったれてみせるが、最後のどんづまりにはいつも抜け道を用意しておく人間だ。妹の自殺のおかげで罰せられもせず恥ずかしめもうけず、なにくわぬ顔で生き延びた日から、それがきみの習性になったんだ。今度だってきみはなんとか卑劣な手段を弄して生き延びるにちがいない。(中略)殺させれた自分の眼をやるなどと、自分のまぢかな死を信じているふりをした、ごまかしをいうな。僕は実際、死者の眼だって必要としている人間だ、そういう不具者を嘲弄するな!


 ラストの感触は、「個人的な体験」とかなり似ている感じです。なんだか最後の部分だけちょっと都合が良いというか、希望を描くにしても若干甘さが残るような気もしました。

 最後に、この小説を読むきっかけとなった「葦と百合」のテキストは、小説も夢も現実も同じように軽くふわふわして、その不確定な可能性が自由で楽しい感じだったけれど、この小説は同じくテキストと夢と現実の不確定性を語りながら、同じように堅牢で重い確かさを持つところが対照的で面白かったので、読み比べると愉快かもしれません。
* 2010/06/12(土) # [ 読書感想文 ] トラックバック:0 コメント:0
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。